湯島大小砲鋳立場跡

マーカーは東京医科歯科大学です。

湯島大小砲鋳立場
[江戸幕府黒船来航により、急遽江戸湾防備の対策に取り組み、嘉永6年(1853年)8月下旬から品川台場の建設を開始した。そこに設置する大砲を製造するため、湯島(現在の東京医科歯科大学所在地)に幕府直営の「湯島馬場大筒鋳立場」が設けられた。安政2年(1855年)の組織改革により小銃製造も行われ「湯島大小砲鋳立場」と改称した。江川英龍の指導で鉄砲鍛冶が大砲の鋳造を行っていたが、従来からの製法による青銅砲であったため品質が低く、そのため欧州の先進技術を導入した新工場(関口製造所)が計画された。  (wikipedia・関口製造所より)]

湯島大小砲鋳立場資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図左下・聖堂上に江川太郎左衛門掛御鉄炮鋳場と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 浅草下谷本郷辺絵図」(コマ番号4/5・絵図中央右上方向に「馬場」「的場」が湯島大小砲鋳立場となります。)

カメラ北方向が湯島大小砲鋳立場があった現在の東京医科歯科大学です。