福山藩阿部家中屋敷跡

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関連リンク – 「阿部正弘上屋敷跡

福山藩阿部家中屋敷跡
[江戸大名屋敷明治維新以後になると自己の邸宅用に広大な地所を確保し、残余の土地は細かく再分化して多数の借地借家にあて、旧大名たちはそれを収入源とした家計の維持をはかるようになった。それに対して福山藩主阿部は藩士の長屋を区画整理し、有識者や学者を優先的に入居させ、銭湯、下宿、店舗の開業を禁止し、その代わりに公園、学校を設けたと。こういう阿部家の方針が「学者町」の誕生を促進させた訳だ。
本郷西片町の歴史から抜粋
1843 天保14  11代正弘 阿部正弘老中に(25歳)。
1845 天保16   同   阿部正弘老中首座に(27歳)。
1852 嘉永05   同   全焼の江戸城西丸普請の功績により1万石が加増、藩校誠之館設立費用に充てる(嘉永6年、邸内の藩校を誠之館と改称)。
1854 安政01   同   日米和親条約。江戸丸山誠之館開講。翌年福山誠之館開講。  (「西片町界隈ー赤門前の「学者町」ー – ヤプログ! 」より)]

[福山藩江戸藩校       誠之館(せいしかん)跡    西片2丁目
「誠之館」は、 福山藩が江戸詰めの藩士の子弟のために設けた藩校である。 福山藩では、天明6年(1786)国元に弘道館を、 文政元年(1818)、江戸藩邸であるこの地、本郷丸山(西片2丁目)に文武場を設けた。
嘉永6年(1853)、『中庸』の「誠ハ天ノ道ナリ、之ヲ誠ニスルハ人ノ道ナリ」から名をとり、 これを「誠之館」と改めた。「誠之館」では就学義務制をとり、8歳で入学、武芸・漢文講読・剣術・槍術など厳格な子弟教育を行い、有能な人材を育てた。明治4年(1871)廃藩置県にともない閉鎖される。
その後も 阿部家(福山藩)は教育に力をつくした。 「学制」公布により小学校制度が発足して間もない明治8年(1875)、 同家から資金、 敷地の一部を譲り受けるなどして開校したのが「誠之小学校」である。
         東京都文京区教育委員会  平成元年11月]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図中央上に阿部伊勢守中屋敷が描かれています。)

誠之館跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向・誠之小学校校門前に「誠之館跡」の説明プレートが設置してあります。

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