郡上藩青山家上屋敷跡

マーカーは郡上藩青山家上屋敷跡です。

郡上藩青山家
[郡上藩(ぐじょうはん)は、江戸時代美濃国(現在の岐阜県郡上市八幡町)に存在し郡上郡の大半と越前国の一部を統治した藩。藩庁は八幡城。八幡藩(はちまんはん)とも。
郡上は戦国時代織田信長豊臣氏の家臣であった遠藤氏、次いで稲葉氏の支配下にあった。関ヶ原の戦い稲葉貞通豊後臼杵に移された後、遠藤慶隆も関ヶ原の戦いで東軍に与して戦功を挙げたことから、慶隆は2万7000石を与えられて旧領復帰を許され、郡上藩が立藩した。
元禄5年(1692年)11月、井上正任常陸笠間藩から5万石で入った。
その後、丹後宮津藩から青山幸道が4万8000石で入る。幕末期の藩主・青山幸哉は日本で最初にメートル法を紹介したとされている『西洋度量考』の編者として知られている。最後の藩主・青山幸宜戊辰戦争で新政府側に与したが、家老の朝比奈藤兵衛の子・茂吉は凌霜隊を組織して旧幕府側に味方するなど、藩は2つに分かれて混乱した。
明治4年(1871年)の廃藩置県で郡上藩は廃されて郡上県となる。  (wikipedia・郡上藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図[安政4(1857)年]」[絵図四つ切左上、水戸殿上屋敷下に青山大膳亮(青山幸哉)上屋敷が描かれています。)

カメラ東方向道路両サイドが郡上藩青山家上屋敷跡になります。