切支丹坂

マーカーは切支丹坂上です。

切支丹坂
[切支丹坂(きりしたんざか)とは、東京都文京区に位置する坂である。
切支丹坂の場所は多数あり、どの坂が真の切支丹坂か、未だにわかっていない。
●庚申坂(こうしんざか) / 切支丹坂(きりしたんざか)
別名・切支丹坂と呼ばれている庚申坂は、昔坂下に庚申の碑があったことから名付けられた。場所は、小日向4丁目と春日2丁目の間に位置する。文京区教育委員会の坂案内板によると、「小日向第六天町の北、小石川同心町の界を東より西へ下る坂あり………略………この坂を切支丹坂というは誤りなり。本名 “庚申坂” 昔、坂下に庚申の碑あり……… (一部省略) キリシタン坂はこの坂の地下鉄ガードの向側の坂のことである。 ………両側の藪の間を上る坂あり………これが真の切支丹坂なり」と記されている。つまり文京区教育委員会によると、真の切支丹坂は東京メトロ丸ノ内線のトンネル出たところにあると記されている。しかし、天保時代の地図を見ていると今の庚申坂の坂名が「キリシタンザカ」と記されている。そのため、庚申坂が真の切支丹坂と言われている。
●文京区公認の切支丹坂
文京区教育委員会のいう切支丹坂は、小日向1丁目に位置する。この坂は、切支丹屋敷跡から一番近いため、名付けられたと思われる。この坂は、明治後半にできたと言われている。
●切絵図にある漢字で切支丹坂
嘉永七年尾張屋刊江戸切絵図「礫川牛込小日向絵図」に、漢字で「切支丹坂」と記されている。場所は小日向1丁目に位置する。
切支丹坂(江戸図、菅原茂兵衛、明和8年)・wikipedia-photo、付近にある切支丹屋敷跡の碑・wikipedia-photo  (wikipedia・切支丹坂より)]

[小日向台という台地があり、坂が多い。坂には「切支丹坂」・「薬罐(やかん)坂」など江戸期からの名称がついている。閑静な住宅街。石川啄木安部公房横溝正史などの旧居があった。
小説にもよく登場する。
夏目漱石『琴のそら音』「竹早町を横ぎって切支丹坂へかかる。なぜ切支丹坂と云うのか分らないが、この坂も名前に劣らぬ怪しい坂である。坂の上へ来た時、ふとせんだってここを通って「日本一急な坂、命の欲しい者は用心じゃ用心じゃ」と書いた張札が土手の横からはすに往来へ差し出ているのを滑稽だと笑った事を思い出す。今夜は笑うどころではない。命の欲しい者は用心じゃと云う文句が聖書にでもある格言のように胸に浮ぶ。坂道は暗い。滅多に下りると滑って尻餅を搗く。険呑だと八合目あたりから下を見て覘(ねらい)をつける。」 (ここの「切支丹坂」は庚申坂を指しているようだ。)
志賀直哉『自転車』「恐ろしかったのは小石川の切支丹坂で、昔、切支丹屋敷が近くにあって、この名があるといふ事は後に知ったが、急ではあるが、それ程長くなく、登るのは兎に角、降りるのはそんなに六ケ(むつか)しくない筈なのが、道幅が一間半程しかなく、しかも両側の屋敷の大木が鬱蒼と繁り、昼でも薄暗い坂で、それに一番困るのは降り切つた所が二間もない丁字路で、車に少し勢がつくと前の人家に飛び込む心配のある事だつた。私は或る日、坂の上の牧野といふ家にテニスをしに行つた帰途、一人でその坂を降りてみた。ブレーキがないから、上体を前に、足を真直ぐ後に延ばし、ペダルが全然動かぬやうにして置いて、上から下まで、ズルズル滑り降りたのである。ひよどり越を自転車でするやうなもので、中心を余程うまくとつてゐないと車を倒して了ふ。坂の登り口と降り口には立札があつて、車の通行を禁じてあつた。然し私は遂に成功し、自転車で切支丹坂を降りたのは恐らく自分だけだらうといふ満足を感じた。」  (wikipedia・小日向より)]

東都小石川繪圖」(絵図中央左下付近・大久保長門守下屋敷左上にキリシタンサカと描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 十二之二」(50/134~52/134・地図中央に切支丹屋敷と記述され、屋敷地右上方向に坂の表記があり、これが切支丹坂と思われます。)

切支丹坂 – Google Map 画像リンク

切支丹坂上・カメラ東方向が切支丹坂です。

切支丹坂下・カメラ西方向が切支丹坂です。