マーカーは手塚良仙屋敷跡です。
手塚良仙
[手塚 良仙(てづか りょうせん、または良庵(りょうあん)、文政9年(1826年) – 明治10年(1877年)10月10日)は、幕末・明治の医師・蘭学者。名は光享。息子は司法官の手塚太郎。大槻俊斎は義弟にあたる。漫画家の手塚治虫の曾祖父である。
略歴
●江戸の蘭方医・常陸国府中藩医の手塚良仙(手塚光照)を父に生まれ、緒方洪庵の適塾に入門。福澤諭吉らと親しむ。
●江戸に帰って、大槻俊斎・伊東玄朴(伊東玄朴屋敷跡)らと図り、お玉が池種痘所設立。(お玉ヶ池種痘所跡)
●父の跡を継ぎ、良仙と改名。幕府歩兵屯所付医師となり、明治維新後、大日本帝国陸軍軍医となる(大尉相当官)。
●西南戦争に従軍、九州で赤痢に罹り、長崎陸軍病院にて死去した。 (wikipedia・手塚良仙より)]
「国際日本文化研究センター – 東都小石川繪圖(安政4・1857年)」(絵図右上伝通院左の三百サカ下トオりとタカジヤウ丁角に手塚良仙と描かれています。)
カメラ南方向に手塚良仙屋敷がありました。