水戸徳川家上屋敷跡(小石川後楽園)

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    水戸徳川家上屋敷跡
    [徳川幕府初期には尾張徳川家紀伊徳川家・水戸徳川家上屋敷は江戸城内吹上にあった。]

    [文京区、東京ドームのそばに小石川後楽園があります。面積約7万㎡の回遊式築山泉水庭園です。水戸徳川家上屋敷(当初は中屋敷、のち上屋敷火災後、上屋敷となる)の庭として1629年(寛永6年)、造園が開始され、1659年に完成しています。国の特別史跡、特別名勝の二重指定を受けている名園です。  (「水戸徳川家の上屋敷-小石川後楽園 – edo→tokyo」より)]

    [1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が築いた庭園を、嫡子の徳川光圀(水戸黄門)が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。出典は『岳陽楼記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」によっており、岡山市にある後楽園と全く同じである。7万平方メートル以上の広大な園内には、蓬莱島と徳大寺石を配した大泉水を中心に、ウメ、サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが植えられ、四季を通じて情緒豊かな景色が広がる。また中国の文人たちが好んで歌った西湖や廬山も採り入れている。光圀は朱舜水を設計に参加させたといわれており、中国的、儒教的な趣好が濃厚である。1869年(明治2年)の版籍奉還により旧藩主徳川昭武が邸宅とともに新政府に奉還し、そののち東京砲兵工廠の敷地の一部として陸軍省の所管となった。(この名残で現在でも砲兵工廠の遺構のいくつかを園内で見ることができる)1874年(明治7年)以降、明治天皇行幸および皇族の行啓を受け、外国人観覧者も多く、世界的にも名園として知られるようになった。1923年(大正12年)3月7日、国の史跡および名勝に指定された。指定の際、岡山市の後楽園と区別するため「小石川」を冠した。1952年(昭和27年)には文化財保護法に基づく国の特別史跡および特別名勝に指定され、今日では、都立公園として整備され、一般に公開されている(有料)。
    小石川後楽園全景(文京シビックセンターから望む)・wikipedia-photo、大泉水と蓬莱島(https://goo.gl/maps/e2eM2PqRFe72)・wikipedia-photo、梅まつり・wikipedia-photo、円月橋・wikipedia-photo、内庭(https://goo.gl/maps/WuV8y2LyxLN2)・wikipedia-photo、小廬山(https://goo.gl/maps/HK8wzYjj3io)・wikipedia-photo、蓬莱島を望む・wikipedia-photo、蓬莱島と徳大寺石(https://goo.gl/maps/ci9ZAmfWdUB2)・wikipedia-photo、内庭(https://goo.gl/maps/Yqz3ayT9vYs)・wikipedia-photo、内庭(https://goo.gl/maps/TbZkXC4Kbr82)・wikipedia-photo、異形燈籠(https://goo.gl/maps/UZ4PZMLMPhD2)・wikipedia-photo、大泉水のほとり・wikipedia-photo、紅葉のパノラマ・wikipedia-photo、八つ橋(https://goo.gl/maps/k6xtbDVmLJ62)・wikipedia-photo、通天橋(https://goo.gl/maps/73LkDN6PBUR2)・wikipedia-photo、大堰川(https://goo.gl/maps/TDM6wQSYvZ62)・wikipedia-photo、瘞鷂碑(えいようひ)(https://goo.gl/maps/cAPuLPBJfWM2)・wikipedia-photo、藤田東湖護母致命之記念碑・wikipedia-photo、西行堂跡(https://goo.gl/maps/pDLXhYkzaAr)・wikipedia-photo、白糸滝・wikipedia-photo、彼岸花・wikipedia-photo、  (wikipedia・小石川後楽園より)]

    小石川後楽園ホームページ」 – 「園内案内図

    小石川後楽園の桜

    資料リンク
    国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡江戸〔庄〕図(出版年月日・[寛永9(1632)年頃])[絵図四つ切右上・現在の吹上御所付近に「水戸中納言様(徳川頼房)」と記述されています。]

    国立国会図書館デジタルコレクション – 新板江戸外絵図. 東ハ浅草、北ハ染井、西ハ小石川[出版年月日・寛文11-13(1671-1673)刊]」[絵図四つ切左下に「水戸宰相殿(徳川光圀)」と記述されています。]

    国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図[安政4(1857)年]」(絵図左上に水戸殿と描かれています。)

    国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書」 – 「十二之二[134] -9/134「延宝年(1673年-1681年)中之形」、10/134[当時之形]」(絵図中央に水戸殿と描かれています。)

    屏風岩 – Google Map 画像リンク」、「小廬山 – Google Map 画像リンク」、「得仁堂 – Google Map 画像リンク」、「通天橋 – Google Map 画像リンク」、「清水観音堂跡 – Google Map 画像リンク」、「円月橋 – Google Map 画像リンク」、「八卦堂跡 – Google Map 画像リンク」、「田端 – Google Map 画像リンク」、「九八屋 – Google Map 画像リンク」、「錦春稲荷神社 – Google Map 画像リンク」、「赤門(旧水戸藩江戸上屋敷中仕切門) – Google Map 画像リンク」、「異形灯籠 – Google Map 画像リンク」、「弁才天祠 – Google Map 画像リンク」、「蓬莱島 – Google Map 画像リンク」、「大泉水 – Google Map 画像リンク」、「内庭 – Google Map 画像リンク」、「富士見堂 – Google Map 画像リンク」、「寝覚の滝 – Google Map 画像リンク」、「白雲台跡 – Google Map 画像リンク」、「駐歩泉の碑 – Google Map 画像リンク」、「西行堂跡 – Google Map 画像リンク

    カメラ東北東方向が水戸徳川家上屋敷跡(小石川後楽園西門)です。(ストリートビューです。)

    ストリートビューは庭園入り口前です。

    大泉水前のカメラです。

    ストリートビューは丸八屋前です。
    [丸八屋とは、江戸時代の風流な酒亭の様子を現した。この名の由来は「酒を飲むに昼は九分夜は八分にすべし」と酒飲みならず万事控えるを良しとする、との教訓による。戦災により焼失したが昭和34年に復元した。  (「37.小石川後楽園」より)]

    神田上水跡の水路前のストリートビューです。

    小石川後楽園・梅園の360citiesです。

    小石川後楽園・枝垂桜満開の360citiesです。

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