氷川神社(簸川神社)、氷川坂

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    氷川神社(簸川神社)
    [簸川神社(ひかわじんじゃ)は東京都文京区千石にある神社である。旧小石川村の鎮守。氷川神社の末社であるが、簸川と書く神社は非常に珍しい。素盞嗚命(すさのおのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)の3神を祀る。孝昭天皇3年(473年)の創建と伝えられる。源義家が祈願をしたとも伝えられる。もとは当地より南東の水源地(現小石川植物園内)に鎮座していたが、承応年間(1652年~55年)に小石川白山御殿となり、当地へ遷座した。江戸時代は氷川大明神と称し、別当・宗慶寺を有し、江戸七氷川に数えられた。明治に入ると氷川神社へ改称したが、大正時代に「氷川」は出雲国「簸川」に由来するという説から、簸川へ改めた。東京大空襲で、本殿・社務所等が焼失、昭和33年(1958年)に再建されている。  (wikipedia・簸川神社_(文京区)より)]

    氷川坂
    [網干坂の西、簸川神社(旧氷川神社)のすぐ西隣を網干坂と平行して千川の谷に下る坂である。簸川神社に接してるので氷川坂という。「氷川明神社、相伝ふ孝昭天皇の御宇の鎮座なり。・・・昔は白山御殿の地にありしが、白山権現と共に他に替えさせられしより当社はこの地に遷る」と『江戸名所図会』にある。坂下は、現在暗渠になっているが、昔は千川が流れ、祗園橋が架かっていた。元文の頃、粋人が氷川八景を選んだ。小石川薬園預り芥川小野寺という人が、橋上行客の風景として、「ゆく人の袖こそにほへ散りしきて花をわたせる春の河橋」と詠っているが、当時橋上付近には四季の花が咲き誇っていたのであろう。  (「文京区の坂-氷川坂(簸川坂)」より)]

    資料リンク
    国際日本文化研究センター – 東都小石川繪圖(安政4・1857年)」(絵図左上に氷川社が描かれ、東の道がアミホシサカで、西の道が氷川坂になります。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [23]貮拾元(嘉永七年・1854年)」(コマ番号5/5・中央に氷川神社が描かれ、両サイドの道に坂の印が描かれています。)

    江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「氷川明神社聖問庵旧蹟祗園橋」(13-12)、「氷川明神社解説-1・右ページ2行目より」(13-14)、「氷川明神社解説-2・右ページ1行目まで」(13-16)
    氷川明神社祗園橋(拡大図)

    [図会下に千川、祗園橋が描かれ、左ページ上に氷川神社(簸川神社)が描かれています。氷川神社(簸川神社)参道鳥居前、右が網干坂、左が氷川坂になります。]

    簸川神社 – Google Map 画像リンク」、「簸川坂(氷川坂) – Google Map 画像リンク

    カメラ北方向が氷川神社(簸川神社)参道です。

    氷川神社(簸川神社)拝殿前のカメラです。

    カメラ位置は氷川坂の坂上で、カメラ東方向に氷川神社(簸川神社)、氷川坂の案内板が設置されています。

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