光照寺

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光照寺
[光照寺(こうしょうじ)は東京都新宿区袋町に在る浄土宗の寺院。増上寺の末寺で樹王山正覚院光照寺という。牛込城の跡地に建つ。光照寺は1603年(慶長8年)、神田元誓願寺町に開かれた。開基は松平次郎左衛門信貞(松平昌安)、開山は清誉上人光照と伝わる。1645年(正保2年)に江戸の当地へ移転してきた。出羽松山藩江戸屋敷菩提寺となったため、境内には出羽松山藩主家である酒井家歴代藩主の墓が残る。  (wikipedia・光照寺_(新宿区)より)]

[この地は、室町時代初期に上野国(群馬県)の大胡(のち牛込)氏が築いた牛込城の跡といわれ、光照寺は正保2年(1645年)に神田から移転してきました。付近は、見晴らしの良い高台で、江戸湾に出入りする船が望見できたと伝えられています。光照寺は、出羽(山形県)松山藩主酒井家の江戸における菩提寺であったため、初代忠恒をはじめ歴代藩主一族の墓が並び、大名家の威勢をしのばせています。境内には、区登録文化財の『諸国旅人供養碑』があります。これは、神田松永町旅籠屋紀伊国屋の店主利八が、文政8年(1825年)、旅先で死亡した人々の菩提をとむらうために建てたものです。信濃奥州越後など、諸国からの旅人の名が記されています。  (光照寺 – 新宿観光振興協会より)]

[新宿区登録史跡
   牛込城跡
     所在地 新宿区袋町十五番地
     登録年月日 昭和六十年十二月六日
 光照寺一帯は、戦国時代この地域の領主であった牛込氏の居城があったところである。
 堀や城門、城館など城内の構造については記録がなく詳細は不明であるが、住居を主体とした館であったと推定される。
 牛込氏は赤城山の麓上野国(群馬県)勢多郡大胡の領主大胡氏を祖とする。天文年間(1532~55年)に当主大胡重行が南関東に移り、北条氏の家臣となった。天文24年(1555年)重行の子の勝行は姓を牛込氏と改め、赤坂・桜田・日比谷付近も含めて領有したが、天正18年(1590年)北条氏滅亡後は徳川家康に従い、牛込城は取り壊される。
 現在の光照寺は正保2年(1645年)に神田から移転してきたものである。
 なお、光照寺境内には新宿区登録文化財「諸国旅人供養碑」、「便々館湖鯉鮒の墓」などがある。
 平成七年八月
     東京都新宿区教育委員会]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 市ヶ谷牛込絵図」(絵図四つ切左下中央付近に光照寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 十一之二」(コマ番号2/3・地図中央下方向に光照寺が描かれています。)

光照寺 – Google Map 画像リンク」、「牛込城跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向に光照寺参道口があり、参道口左に牛込城跡の案内板が設置されています。