関宿藩久世大和守上屋敷跡

マーカーは関宿藩久世大和守上屋敷跡です。

関連リンク – 関宿藩久世家下(中)屋敷跡関宿藩久世家下屋敷跡(清澄庭園)

久世大和守
[久世 広周(くぜ ひろちか)は、江戸時代末期の大名。下総国関宿藩主。関宿藩久世家7代。
嘉永元年(1848年)10月18日、西丸老中就任。
嘉永4年(1851年)、老中に就任し阿部正弘らと共に諸外国との折衝に当たったが、安政の大獄での一橋派による江戸城不時登城に対する井伊直弼の強圧的な処罰方針に閣老中ただひとり反対するなどしたため、直弼の怒りを買って罷免される。
万延元年(1860年)、桜田門外の変で直弼が暗殺された後、老中安藤信正の推挙を受けて再度老中に就任、信正と共に公武合体政策を推進した。政情不安が進む政局の安定化に努める一方で、長州藩長井雅楽による「航海遠略策」の支援なども行なった。しかし文久2年(1862年)、安藤が坂下門外の変を機に老中を罷免されるや、その連座および安政の大獄時に閣老の一人であったにも関わらず、井伊直弼の暴挙を止められなかったこと、また公武合体(または外交方針である航海遠略策)の失敗などの責任を問われ、老中を罷免されて失脚した。元治元年(1864年)、失意のうちに死去した。享年46。  (wikipedia・久世広周より)]

国立国会図書館デジタル資料 – 〔江戸切絵図〕. 御江戸大名小路絵図(嘉永2年・1849年)」(絵図中央下右に久世大和守上屋敷が描かれています。)

カメラ位置は東京駅丸の内北口で、この付近が関宿藩久世大和守上屋敷跡になります。