土佐藩山内家上屋敷跡(東京国際フォーラム)

マーカーは東京国際フォーラムです。

関連リンク – 、土佐藩山内家中屋敷跡土佐藩山内家築地邸跡土佐藩山内家下屋敷跡案内板山内豊信(容堂)墓所土佐藩山内家深川下屋敷跡(中浜万次郎住居跡・左行秀鍛錬場跡)

東京国際フォーラム
[東京国際フォーラム(とうきょうこくさいフォーラム)は、株式会社東京国際フォーラム(完成当時は財団法人東京国際交流財団)が運営する、公的総合文化施設。東京の代表的国際コンベンションセンターの一つにもなっている。ホールAの客席数は5012席と、アジア最大を誇る。旧東京都庁舎の跡地に建設された(第3庁舎部分は、豊田通商丸の内ビルになっている)。最寄り駅は有楽町駅東京駅京葉線武蔵野線)。7つのホール、展示ホール、33の会議室、店、レストラン、相田みつを美術館太田道灌の像(都庁所在時から引き続き設置)などを備えており、様々なイベントや展示が開催される。
東京国際フォーラム・ガラス棟の外観・wikipedia-photo

東京国際フォーラム前広場・wikipedia-photo

  (wikipedia-東京国際フォーラムより)]

相田みつを美術館
[書家・詩人として、自分の書、自分の言葉を探求し続けた相田みつを、その作品の数々を展示・紹介する「相田みつを美術館」。「人生の2時間を過ごす場所」をコンセプトとして、作品に触れるだけでなく、じっくり心で味わう、美術館となっております。
●閉館時間 – 10:00~17:30 (最終入館は17:00)
●休館日 – 月曜 (祝・祭日は開館、振替休日なし)
●入館料 – 一般・大学生800円 (500円) / 中学・高校生500円 (300円)/ 小学生200円 (100円) / 70歳以上の方500円 (500円)
*( ) 内団体料金20名以上
●お問い合せ TEL : 03-6212-3200 / FAX : 03-6212-3201
●ホームページ http://www.mitsuo.co.jp/  (「東京国際フォーラム|施設一覧|相田みつを美術館」より)]

相田みつを美術館・wikipedia-photo

大江戸骨董市
[「大江戸骨董市」は、日本最大級の露天骨董市。毎月第1・3日曜日に地上広場で開催しています。
おしゃれで国際色豊かな骨董市として大変好評を博しており、今では丸の内の人気イベントです。
大江戸骨董市事務局ホームページ  (「東京国際フォーラム|大江戸骨董市」より)]

大江戸骨董市・wikiprdia-photo

ネオ屋台スーパーナイト
[自然の木々に囲まれた都会の癒しの空間に出現するビアガーデン「ネオ屋台村スーパーナイト」。毎年4月から11月まで、月1回開催しています。
ランチタイムに日替わりでやってくる色とりどりのかわいいキッチンカーが、エスニックなど多彩なバリエーションの屋台メニューをリーズナブルにご提供いたします。 お買物やお仕事の帰り道、ぜひ、くつろぎのひと時をお過ごし下さい。
ネオ屋台村事務局ホームページ  (「ネオ屋台村スーパーナイト – 東京国際フォーラム」より)]

ベストフリーマーケット
[東京国際フォーラムの中庭、地上広場では、毎月「ベストフリーマーケット in 東京国際フォーラム」を開催しています。
最大200店が出店し、朝から大勢のお客さまで賑わっています。
欧米の蚤の市をイメージしたおしゃれで自由感覚あふれるフリーマーケットです。
リサイクル運動市民の会 事務局ホームページ  (「東京国際フォーラム|ベストフリーマーケット」より)]

東京国際フォーラムホームページ

土佐藩山内家上屋敷跡資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡江戸〔庄〕図(出版年月日・〔寛永9(1632)頃〕刊」(絵図中央・大名小路下に「松平土佐」(山内忠豊)と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 新板江戸大絵図(出版年月日・寛文10(1670)刊」(絵図中央下・鍛冶橋左上に「松平トサ」(山内豊昌)と記述されています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸大名小路絵図(嘉永2年・1849年)」(絵図四つ切左下に「松平土佐守」(山内容堂)上屋敷が描かれています。)

[御大名小路辰之口辺図] / 高柴三雄 誌(嘉永2年・1849年)」・「bunko01_01854_p0001.jpg

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 一之二(文久元年・1861年)」(絵図右上に松平土佐守、松平阿波守、町奉行御役宅が描かれています。)

(内題)東京府武蔵国麹町区八重洲町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)明治16・1883年」(地図下・「陸軍練兵場」の上部分が土佐藩山内家上屋敷跡になり、下が松平阿波守(徳島藩)上屋敷になるます。)

カメラ東南東方向が土佐藩山内家上屋敷跡(東京国際フォーラム)です。

東京国際フォーラム地上広場のカメラです。

東京国際フォーラム地上広場夜のカメラです。

地下1階の相田みつを美術館前のカメラです。

土佐藩山内家
[土佐藩(とさはん)は、廃藩置県以前に土佐国(現在の高知県)一円を領有した外様大名。明治初年の正称は高知藩(こうちはん)。藩庁は高知城高知市)にあった。大広間詰国持大名。土佐藩の領域は戦国時代末期には長宗我部氏が統治していたが、長宗我部盛親慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて西軍に与して改易となった。この合戦において徳川氏に味方した遠江掛川城主・山内一豊が、新たに土佐国9万8000石を与えられた。以降、明治時代初頭まで山内氏が治めた。
当初、「一領具足」と呼ばれた長宗我部氏旧臣が、山内氏に馴染まずに反乱を繰り返したため、山内氏は藩内の要衝に重臣を配して反乱に備えた。中村山内康豊(2万石)を始め、佐川深尾重良(1万石)、宿毛山内可氏(7000石)、窪川山内一吉(5000石)、本山山内一照(1300石)、安芸五藤為重(1100石)を配している。藩政の中枢を山内家家臣(上士)で独占した結果、下位に位置づけられた長宗我部氏旧臣(郷士)との二重構造が幕末まで続いた。
幕末には、15代豊信(容堂)が吉田東洋を起用して改革を断行した。東洋は保守派門閥や郷士の反感を買い、武市瑞山を中心とした土佐勤王党によって暗殺された。後に勤王党は実権を回復した容堂(豊信)の報復を受け、瑞山の切腹や党員が処刑されるなど弾圧解散された。なお、東洋の門下より後藤象二郎板垣退助岩崎弥太郎明治時代を代表する人物を、また、郷士である坂本龍馬中岡慎太郎など優れた人材が輩出された。坂本や後藤を通じて容堂から15代将軍徳川慶喜へ献策された大政奉還により、江戸幕府の歴史が閉じられた。土佐藩は薩長土肥の一角をなし、時代転換の大きな役割を演じた。  (wikipedia-土佐藩より)]

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