数寄屋橋跡

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マーカーは数寄屋橋跡です。

数寄屋橋
[数寄屋橋(すきやばし)は、1629年(寛永6年)江戸城外濠に架けられた橋である。1958年(昭和33年)、外堀が東京高速道路の建設により埋め立てられ、取り壊された。なお、数寄屋橋があった場所を跨ぐ東京高速道路の橋は新数寄屋橋と名付けられている。
旧数寄屋橋。後ろの建物は旧朝日新聞本社・wikipedia-photo、数寄屋橋交差点・wikipedia-photo  (wikipdia・数寄屋橋より)]

数寄屋橋見附門
[数寄屋橋門は慶長7年(1602)に築き、寛永6年(1629)陸奥国仙台藩主の伊達正宗が石垣と枡形門を完成させた。この枡形門の裏手にあった南町奉行所の役宅には、大岡越前忠相享保2年(1717)~元文元年(1736)」、遠山左衛門尉景元弘化2年(1845)~嘉永5年(1852)」などが務めた。江戸切絵図に見える元数寄屋町や数寄屋河岸のあたりに数寄屋造りの屋敷街があったことに由来して数寄屋橋御門と名付けた。  (「大江戸歴史散歩を楽しむ会 – 数寄屋橋御門」より)]

数寄屋橋資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸城見附図 2巻. [2]」(コマ番号19-22/68・数寄屋橋御門)

国立国会図書館デジタルライブラリー – 飯田町堀留より数寄屋橋御門外迄御堀浚道造出来形絵図」(コマ番号8/8・図左に数寄屋橋御門が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸大名小路絵図」(絵図下左端に数寄屋橋御門が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図」(絵図左上方向に数寄屋橋御門が描かれています。)

「[御大名小路辰之口辺図] / 高柴三雄 誌」・「bunko01_01854_p0001.jpg

東海道名所絵 東海道名所之内 東都数奇屋河岸[歌川(安藤)2代広重]

(幕末の数寄屋橋門・ファイル:Sukiyabashi-Mon.JPG)

旧数寄屋橋門跡 – Google Map 画像リンク

カメラ西南西方向に菊田一夫筆「数寄屋橋此処にありき」と刻んだ碑が建っている。

カメラ初期設定方向に数寄屋橋御門の写真とその当時の絵図が貼り付けてある。

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