桜田門(玉川上水樋管)

マーカーは桜田門です。

江戸城配置図(内郭)(拡大図)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸城図

桜田門
[桜田門(さくらだもん)は、江戸城(現在の皇居)の内堀に造られた門の一つ。桜田堀と凱旋堀の間にある。昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された。特別史跡「江戸城跡」の一画を占める。なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。当初は小田原街道の始点として小田原口と呼ばれていた。寛永13年(1636年)にそれまでの柵戸仕立の門を現在のような桝形門に改築、桜田門とよぶようになる。外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造になっている。間に桝形とよばれる四角形の広場がある。この広場は門から打って出る兵の待機場所であり、また敵に攻められた時はここに敵兵を引き入れ周囲から弓・鉄砲などで攻撃する。大正12年(1923年)の関東大震災で一部が破損、鋼鉄土蔵造りに改修される。安政7年(1860年)にこの門の近くで水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きた。井伊邸は現在憲政記念館(彦根藩井伊家上屋敷跡)の建っている辺りにあり、桜田門から西に500メートルほどの所にあった。昭和7年(1932年)には昭和天皇の暗殺未遂事件(桜田門事件)が起きた。桜田門の正面(豊後杵築藩松平家屋敷跡)には現在、警視庁の庁舎がある。この事から警視庁は隠語で「桜田門」と呼ばれることもある。国道1号を挟んで法務省の赤レンガ棟(米沢藩上杉家上屋敷跡)が建っている。
桜田門 (高麗門)・wikipedia-photo

桜田門 (渡櫓門)・wikipedia-photo

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玉川上水樋管
玉川上水留. [42] 玉川上水西丸下御厩掛并伝奏屋敷掛共外樋枡御普請一件 嘉永三戌年三月より十一月迄 分冊ノ一」(40/91・外桜田門周辺の玉川上水樋管が描かれています。44/91・外桜田門周辺と和田倉門、伝奏屋敷周辺の玉川上水樋管が描かれています。)
玉川上水留. [45] 玉川上水西丸下御厩掛并伝奏屋敷掛共外樋枡御普請一件 嘉永三戌年三月より十一月迄 分冊ノ四」(33/99・外桜田門周辺の玉川上水樋管が描かれています。)
玉川上水留. [84] 玉川上水外桜田御門外より西丸下御厩掛伝奏屋敷其外樋枡御普請一件 万延元申年九月より文久元酉年四月 分冊ノ一」(39~41/116・外桜田御門外南方向から伝奏屋敷までの玉川上水樋管が描かれています。)
玉川上水留. [86] 玉川上水外桜田御門外より西丸下御厩掛伝奏屋敷其外樋枡御普請一件 万延元申年九月より文久元酉年四月 分冊ノ三」(106~109/169・外桜田御門外南方向から伝奏屋敷までの玉川上水樋管が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸城見附図 2巻. [1]」(コマ番号21-24/47・外櫻田御門)
(拡大図)

  
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸大名小路絵図」、「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図

江戸名所 外桜田弁慶堀

(明治時代の外桜田門・ファイル:Edo_Castle_0004_1.jpg)

名所江戸百景[歌川(安藤)広重](外桜田弁慶堀糀町 (現在の桜田門駅付近から最高裁方面を望む。ここでいう弁慶堀は、現在の桜田濠のこと)・wikipedia-photo)

桜田門 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が桜田門の高麗門です。

カメラ位置は桜田門内です。カメラ東南東方向が渡櫓門で、カメラ南南西方向が高麗門です。

カメラ西方向が桜田門の渡櫓門です。