マーカーは神田橋案内板です。
神田橋
[この橋を神田橋といい内濠川に架かる見附橋です。将軍が上野の寛永寺に参詣に行くための御成道なので、門の警備は最も厳重であったといわれます。この辺は昔柴崎村といって、神田明神の旧社地でした。その跡地が土井大炊頭(土井利勝)の屋敷となって、門、矢倉等も設けられ子息の遠江(土井利隆)の代までも門に、土井家の水車の門をつけた蔵を張りめぐらしていたといいます。
その頃大炊頭橋ともいわれていたそうです。
門外の町はみな神田といったので、神田口橋ともいい橋の名ともなったのでしょう。内濠川は中央区浜町の所で隅田川に連絡し、江戸城築城の時は、建築材料等の荷揚げが橋のすぐ下流の河岸でおこなわれました。鎌倉から石を運んできたので鎌倉河岸の名がついたといいます。
昭和30年頃までは建築資材等の搬入のためにこの河岸は利用されておりました。
江戸時代白通で評判だった豊島屋も昭和初期までこの河岸にありました。現在の橋は大正14年(1925)11月架設。長さ17.3メートル幅34メートルです。 (「神田川のページ>神田橋」より)]
神田上水樋管
「神田上水留. [49] 神田上水神田橋御門内外其外樋筋御修復一件 慶応三卯年三月より 分冊ノ一」(34,35/92・・神田橋及び周辺の神田上水樋管が描かれています。)」
「神田上水留. [51] 神田上水神田橋御門内外其外樋筋御修復一件 慶応三卯年三月より 分冊ノ三」(26,27,28/56・神田橋及び周辺の神田上水樋管が描かれています。)」
神田橋資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸城見附図 2巻. [2]」(コマ番号3-6/68・神田橋御門)
(拡大図)
「国立国会図書館デジタルライブラリー – 飯田町堀留より数寄屋橋御門外迄御堀浚道造出来形絵図」(コマ番号4/8・図右上に神田橋が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸大名小路絵図」、「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駿河台小川町絵図」
カメラ西方向・神田橋親柱の右の四ツ目垣中央付近に神田橋案内板があります。