竹橋門跡(玉川上水樋管)

マーカーは竹橋門跡です。

江戸城配置図(内郭)(拡大図)

国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸城図

竹橋門跡
[現在は、本丸・吹上と北の丸との間を横断する代官町通りの東端として交通量の多い竹橋だが、昔はここも枡形形式の門があった。東から竹橋を渡り高麗門をくぐると渡櫓門は右=北側にあった。しかしここを通過して本丸に向かうにしても、本丸北の北桔橋門は天守大奥のすぐ裏ということで常時締め切りだったらしいから、竹橋門の渡櫓門も利用者は少なかったのではなかろうか。現在の竹橋は、大正15年に帝都復興事業で架設されたもので、平成5年3月に御影石造りに改修された。  (「江戸城 竹橋門と帯曲輪」より)]

玉川上水樋管
玉川上水留. [113] 玉川上水御舂屋掛并竹橋御門大番所掛樋筋御修復一件 慶応三卯年七月」(15/93・竹橋門内の玉川上水樋管が描かれています。75/93・竹橋門内西方向からの流入から竹橋までの玉川上水樋管が描かれています。)

幕末の竹橋門・wikipedia-photo

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸城見附図 2巻. [1]」(コマ番号25-28/47・竹橋御門)
(拡大図)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駿河台小川町絵図(嘉永3年・1850年)」(絵図上中央に竹橋御門が描かれています。)

国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国麹町区代官町及一番町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16年・1883年)」(地図中央右端に竹橋門が描かれています。)

カメラ位置が竹橋門跡になります。道路両サイドに石垣の遺構が残されている。

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