細川越中守上屋敷跡(丸の内オアゾ・丸の内北口ビル)

マーカーは細川越中守上屋敷跡(丸の内オアゾ)です。

関連リンク – 「細川越中守下屋敷跡」、「熊本藩細川家下屋敷跡(戸越公園)」、「熊本藩細川家抱屋敷跡(肥後細川庭園)」、「熊本藩細川家下屋敷跡(永青文庫)

細川越中守上屋敷跡(丸の内オアゾ・丸の内北口ビル)
[熊本藩熊本県の大部分と大分県の一部)
肥後細川家2代の細川忠利(ほそかわ ただとし・1586年~1641年)が54万石で熊本藩に入封し、以降肥後細川家が領する。第3代藩主細川綱利(ほそかわ つなとし・1643年~1714年)は元禄赤穂事件(忠臣蔵)で、大石良雄らのお預かりを担当したことで知られる。第12代(最後の)藩主細川護久(ほそかわ もりひさ・1839年~1893年)は幕末に弟の長岡護美と共に上京して公武合体に尽力した。なお、丸の内北口ビルのエントランスホールの床にある黒御影石に細川家屋敷跡の線刻が施されている。  (「大丸有マップ | 丸ノ内ホテル」より)]

【大丸有トリビア vol.1】丸の内北口ビル エントランスの床の模様は、江戸江戸時代 ●●家屋敷の図面である。

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸大名小路絵図(嘉永2年・1849年)」[絵図四つ切右下に「細川越中守(細川斉護)上屋敷」が描かれています。]

カメラ北北東方向が丸の内オアゾ(丸の内oazo)のエントランスです。

カメラ位置は丸の内北口ビル エントランス前で、カメラ西南西方向エントランスホール床の黒御影石の線刻は、細川屋敷の柱、壁、扉などの配置を表している。