道三橋跡、下三奉行所跡(作事、普請、小普請)

マーカーはカメラ位置です。

[昔ここに道三堀という堀があり、そこに架かっていた橋を道三橋といいました。道三堀というのは江戸城の数ある堀割の1つで、竜の口(和田倉門のそば)から銭瓶橋まで蛇行する堀割でした。堀の中程には橋が架かり、南東の端には江戸幕府典薬寮の医官今大路玄朔延寿院道三法眼の屋敷がありました。西側には細川越中守の屋敷があり、越中守の幼名を彦次郎と称したので、越中守橋とか彦次郎橋とも呼ばれていたようです。『江戸砂子』には今大路を今大和の姓としているので、大和橋ともいわれたのではないでしょうか。この堀橋には道三の外、本道、外科、針の医師も住んでいたといい、この道さんが或日将軍の御召しに遅れ、御咎めがあった時、堀を廻ったので遅れた旨答えたところ、それならば橋を架けよということになって架けられたという話が伝えられています。慶長(1596~1614)の頃は堀にそって材木屋等の町屋が多くできましたが、その後武家地となり、明治42年(1909)堀は埋立てられてしまいました。 昭和51年(1976)3月 千代田区教育委員会   (「東京都千代田区の歴史」より)]

カメラ東方向に道三橋跡の案内板があります。また、道三橋跡西側一角に下三奉行所(普請、作事、小普請)があった。

作事奉行
[作事奉行(さくじぶぎょう)とは、江戸幕府に置かれた役職の1つ。普請奉行、小普請奉行とあわせ下三奉行(しもさんぶぎょう)と呼ばれた。1632年(寛永9年)設置。老中の支配を受け、諸大夫役で2000石高。定員は2名。殿中席は芙蓉の間。幕府における造営修繕の管理を掌った。特に木工仕事が専門で、大工・細工・畳・植木などを統括した。1662年(寛文2年)からは1名が宗門改役を兼任した。納戸口と中の口門の間の棟の一番端の目付部屋の隣に本部が置かれた。下役に京都大工頭、大工頭、作事下奉行、畳奉行、細工所頭、勘定役頭取、作事方被官、瓦奉行、植木奉行、作事方庭作などの役がある。作事奉行を無事に務めあげた者は、大目付町奉行勘定奉行などに昇進した。  (wikipedia・作事奉行より)]

普請奉行
[普請奉行(ふしんぶぎょう)とは、江戸時代の武家の役職の一つ。江戸幕府の旗本の役職。江戸幕府においては、芙蓉の間席で従五位下に叙せられる諸太夫役。別名は、御普請奉行。ここでいう普請は、仏教用語で「ひろく大衆に労役に従事してもらう」という意味である。お城の石垣普請や縄張りを司る役割。定員は概ね2名程度。老中支配で、役高は2000石。寛文6年(1666年)に役料500俵となったが、天和2年(1682年)にこれは廃止になった。下に普請下奉行、改役、普請方などの役があった。  (wikipedia・普請奉行より)]

小普請奉行
[小普請奉行(こぶしんぶぎょう)は、江戸幕府に置かれた職のひとつ。旗本から任じられ、若年寄に属した。諸大夫役、2000石高。芙蓉間詰。定員は2名。1685年(貞享2年)に初めて設置され、江戸城をはじめとして、徳川家菩提寺である寛永寺増上寺などの建築・修繕などを掌った。配下として小普請方、小普請改役、小普請吟味役などが設けられていた。  (wikipedia・小普請奉行より)]

[江戸幕府において江戸城内外,御府内の幕府管下の建造物,寺社等の営繕を分担した小普請方の長官。1685年(貞享2)小普請奉行(御破損奉行)の長として同組頭(小普請方頭)を置き,1701年(元禄14)組頭を小普請奉行,従来の小普請奉行を小普請方と改称。12年(正徳2)小普請奉行2員を解任後,作事奉行がこれを兼ねたが,17年(享保2)に再置。翌年作事奉行方と小普請奉行方それぞれの担当個所が定まり,本丸,西丸の大奥をはじめ二丸,三丸,紅葉山諸堂社,増上寺,浜御殿,伝奏屋敷等々は小普請奉行の担任とされた。  (「小普請奉行 とは – コトバンク」より)]

[小普請奉行(若年寄支配、中之間詰)と小普請組支配(老中支配、中之間詰)とは役職は別で、江戸幕府では無役の旗本は3,000石以上は旗本寄合席、それ以下は小普請組に編入され、その小普請組の長が小普請組支配です。]

資料リンク
武州豊嶋郡江戸〔庄〕図 – 国立国会図書館デジタルコレクション(1624-1643・寛永年間」[絵図中央下に十本の船入堀が描かれ、中央の舟入が紅葉川で、紅葉川が接続する川が楓川です。楓川の左の接続が日本橋川で日本橋、一石橋が描かれ、その上に銭瓶橋が、その又上に道三橋が描かれて、道三橋の左下道三と記述されています。]

国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書 一 」「1-36」[元禄十一寅年(1698年)之形]、「1-37」[寛永六己年(1629年)之形]、[享保二酉年(1717年)之形[の道三橋右下に今大路道三と記述されている。また、道三堀南側にも「1-44」[元禄十一寅年(1698年)以前之形]にも今大路道三が描かれ、その下・道三橋右に細川越中守が描かれている。

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸大名小路絵図

「[御大名小路辰之口辺図] / 高柴三雄 誌」・「bunko01_01854_p0001.jpg

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・八見橋

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「八見橋」(1-33)、「道三橋解説・右ページ右端」(1-34)

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