マーカーは酒井家上屋敷跡案内板です。
関連リンク – 稲荷堀(とうかんぼり)跡・姫路藩酒井家中屋敷跡、古河藩土井家・姫路藩酒井家下屋敷跡(鶏声ヶ窪、「鶏声の井」碑)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP919・コマ番号503/553から姫路藩屋敷の変遷について記載されています。P678・コマ番号383/553「上屋敷 大手向左角」がこの地になります。
酒井雅楽頭家
[酒井広親の次男とされる酒井家忠の家系は、代々雅楽助(のち雅楽頭)を名乗り、雅楽頭家(うたのかみけ)と呼ばれる。酒井雅楽助正親は左衛門尉家の酒井忠次と同じく徳川家康青年期の重臣のひとりで、三河統一の過程で西尾城主(西尾市)に取り立てられ、直臣最初の城主となる。その子酒井重忠は関東で武蔵国川越(埼玉県川越市)に1万石を与えられ、重忠の子酒井忠世は前橋藩主、老中・大老となる。またその孫の酒井忠清は大老となり、幕政において影響力を持った。忠世の子孫は姫路藩15万石の藩主となった。また、重忠の弟の酒井忠利は別家して取り立てられ、川越藩主、江戸城留守居・老中となる。忠利の子の酒井忠勝は老中・大老になり、小浜藩11万3千石の藩主となった。 (wikipedia-酒井氏より)]
酒井忠清
[酒井 忠清(さかい ただきよ)は、江戸時代前期の譜代大名。江戸幕府老中、大老。上野国前橋藩第4代藩主。雅楽頭系酒井家宗家4代。第4代将軍徳川家綱の治世期に大老となる。三河以来の譜代名門酒井氏雅楽頭家嫡流で、徳川家康・徳川秀忠・徳川家光の3代に仕えた酒井忠世の孫にあたる。
家光の死後には西の丸老中が本丸老中へ吸収され、承応2年(1653年)6月には忠清も老中に就任し、諸役と兼任する。忠清は就任と同時に老中首座として松平信綱、乗寿、阿部忠秋と共に4人連署体制を構成するが、翌3年(1654年)には乗寿が死去し、万治元年(1658年)閏12月29日に稲葉正則が加えられるまでは3人体制となる。寛文4年(1664年)には一般奉書の加判を免じられており、寛文6年(1666年)2月2日、諸国山川掟を発する1人となり、3月26日には老中奉書への加判も免じられ、大老職に就任する。保科正之や阿部忠秋が没すると権力が集中し、新たに久世広之・土屋数直・板倉重矩を加えた老中達と共に将軍家綱を補佐して殉死禁止令や、陸奥国仙台藩62万石の伊達家で生じた伊達騒動(寛文事件)や、延宝年間に越後国高田藩で生じた越後騒動などのお家騒動の裁定に関わった。酒井家は寛永13年に江戸城大手門下馬札付近の牧野忠成の屋敷が与えられ、上屋敷となっていた。下馬札とは、内側へは徒歩で渡り下馬の礼を取らなければならない幕府の権威を意識させる場所であり、大老時代の忠清の権勢と重ね合わせ、死後の綱吉時代には下馬将軍と俗称された。 (wikipedia-酒井忠清より)]
酒井家上屋敷跡
[江戸時代の寛文年間この地(将門首塚)は酒井雅楽頭の上屋敷の中庭であり、歌舞伎の「先代萩」で知られる伊達騒動の終末、伊達安芸・原田甲斐の殺害されたところである。 (「将門首塚・酒井家上屋敷跡 – FC2」より)]
資料リンク
「武州豊嶋郡江戸〔庄〕図 – 国立国会図書館デジタルコレクション(寛永年間ヵ・1624-1643)」(絵図四つ切右上・大手口右下方向に「酒井阿波」(酒井忠行)と描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 新板江戸大絵図(出版年月日・寛文10[1670]刊」(絵図四つ切右下・御城下に「酒井雅樂」と記述されています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – [新板江戸大絵図](出版年月日・[元禄11 (1698)」[コマ番号3/4・絵図中央「御本丸」下「酒井雅樂守」屋敷があった場所に「保科肥後守」(松平正容)屋敷が描かれ、その右方向現在の神田小川町3丁目付近に「酒井河内守」(酒井忠挙)屋敷が描かれています。]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 元禄江戸大繪圖(出版年月日・[宝永4 (1707)]」(コマ番号4/5・絵図四つ切右上、御城大手下馬下「酒井雅樂守」屋敷があった場所に「保科肥後守」(松平正容)屋敷が描かれ、その右方向現在の神田小川町3丁目付近に「酒井ウタ」(酒井忠挙・酒井忠相)屋敷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 分間江戸大繪圖(出版年月日・正徳2 [1712]」(コマ番号4/5・絵図四つ切左上、「ワタグラ」上に「松平肥後守」(松平正容)上屋敷が描かれています。御城大手下馬下には「酒井雅樂守」(酒井親愛)が戻っています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸大名小路絵図(嘉永二年・1849)」(絵図中央右端の神田橋左上方向に酒井雅楽頭(酒井忠恒)上屋敷が描かれています。]
「[御大名小路辰之口辺図] / 高柴三雄 誌(嘉永2[1849])」・「bunko01_01854_p0001.jpg」
「国立国会図書館デジタルコレクション – [慶応改正御江戸大絵図](出版年月日・慶応3 [1867])」(コマ番号4/5・絵図四つ切左上、「カンダハシゴ門」左上方向に「酒井雅樂」(酒井忠邦)上屋敷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – (内題)東京府武蔵国麹町区八重洲町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央下・「大蔵省」「内務省」が酒井雅楽頭家上屋敷跡です。)
「東都歳事記」・元旦諸侯御登城図.jpg(絵は平川門前あたりからの絵で、上方向の屋敷が酒井雅楽頭家上屋敷で、左の屋敷が一橋徳川家上屋敷です。)
「東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「元旦諸侯御登城図」(1-11)
カメラ北方向は将門塚ですが、将門塚の場所は元酒井雅楽頭家上屋敷中庭で周辺再開発前には酒井雅楽頭家上屋敷跡の案内板が設置されていました。(酒井雅楽頭家上屋敷跡範囲:千代田区大手町1丁目1~3、酒井雅楽頭家中屋敷跡範囲:千代田区大手町1丁目1,5)