高崎藩大河内松平家上屋敷跡

マーカーは高崎藩大河内松平家上屋敷跡です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP544・コマ番号316/553から高崎藩屋敷の変遷について記載されています。P548・コマ番号318/553「上屋敷 数寄屋橋内」がこの地になります。

高崎藩大河内松平家
[高崎藩(たかさきはん)は、上野国群馬郡群馬県高崎市)周辺を領した藩。藩庁は高崎城に置かれた。
交通の要所でもあり、有力な譜代大名が封じられた。井伊家酒井家戸田松平家藤井松平家安藤家間部家大河内松平家が藩主となった。また、飛び地領として銚子に5000石ほどあり、飯沼陣屋を設置して知行した。  (wikipedia・高崎藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸大名小路絵図(嘉永二年・1849年)」[絵図四つ切左下に松平右京亮(松平輝聴)上屋敷が描かれています。]

カメラ位置はよみうりホール北西交差点で、カメラ西南西方向が高崎藩大河内松平家上屋敷跡になります。