マーカーは新吉原衣紋坂日本堤 播磨屋跡付近です。
[広重の「江戸高名会亭尽」の中には、店の位置する場所を容易に特定できる図を多数見いだすことができる。「新吉原衣紋坂日本堤播磨屋」も同様である。画面右遠景から延びてくる日本堤が画面中ほどの見返り柳に至り、そこで衣紋坂に接続して画面手前へと下ってくる。その脇に「酒肴」 「はりまや」の看板を出す店が描かれている。播磨屋は吉原の大門を出て坂をほぼ登り詰めた右側にあることが、一度でも吉原に来たことのある者ならば、すぐに頭に浮かんできただろう。 (「錦絵に見る料理茶屋情報:「江戸高名会亭尽」を中心に」より)]
江戸高名会亭尽(歌川広重) – 新吉原衣紋坂日本堤 播磨屋「狂句合 播磨屋の門きよめにも赤穂しほ 左棟」(wikipedia-photo)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 今戸箕輪浅草絵図(嘉永六年・1853年)」(絵図中央右に吉原が描かれ、右端衣紋坂の下に播磨屋がありました。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [45]貮拾貮下」(コマ番号7・地図中央上に吉原が描かれ、吉原の右に衣紋坂が描かれ、その下に五十間茶屋町と記述され、そこに播磨屋がありました。)
カメラ位置は五十間道で、カメラ南東方向付近に播磨屋があったと思われます。