マーカーは亀屋大和です。
亀屋大和
[亀屋大和の「大和」は、旧国名で、江戸時代に御用御菓子司であった可能性が高いそうです。この旧国名は受領名(公家や大名などに与えられる正式な官位ではありません)で、宮中や大名からお墨付きを得た、 当時のブランドの証のようなものであったようです。当店が江戸時代に存在していた現存の資料として、「江戸買物獨案内(えどかいものひとりあんない)」があります。中川芳山堂によって出版された、江戸に不案内な人の為のガイドブックで、池波正太郎さんも、参照されていたそうです。当時、当店は、本所で営業しており、本所緑町一丁目と元鳥越三筋町通の京御菓子所として紹介されています。もう一つの資料として、御菓子司の番付表があります。お客様がお持ちくださったもので、江戸時代のものと思われます。江戸の町は、火事が多かった事で有名ですが、その中でも有名な「明暦の大火」で、当店も焼失しました。当時の流行り歌で「亀屋だいじょ(大掾・・だいじょう)で焼け止まり」という歌があったと言われています。その後、商売を立て直し、当時の本所から、5代目頃に現在の地に移ってきたと思われます。 (「亀屋大和の歩み – 東京都千代田区にある創業江戸中期の和菓子 …」より)]
『江戸買物独案内』画像データベース(早稲田大学)の江戸買物獨案内 上・下巻・飲食之部(上巻 / 内容画像122・下画右端二箇所)に亀屋大和が掲載されている。
カメラ南南西方向が亀屋大和です。