佐竹藩(秋田藩)江戸屋敷跡碑

マーカーは佐竹藩(秋田藩)江戸屋敷跡碑です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP705・コマ番号396/553から久保田屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 鎌倉河岸」がこの地になり、
『一、上屋敷 鎌倉河岸
  拝領慶長九(1604)年月日不詳 上地天和三(1683)年二月廿六日 坪数八千四百拾五坪 以下略』
と記述されています。)

佐竹藩江戸屋敷跡碑
[佐竹藩・江戸上屋敷跡の碑
この石碑は現在、内神田2-14-6、神田アネックスビル(旧金杉ビル)の正面にある。
去る昭和36年(1961)5月同所でビル建設の際、その地下3メートルのあたりから「佐竹家」の鐙瓦数枚が出土した。この瓦は扇に日の丸の紋もあざやかに金箔をほどこし、豪放華麗な桃山文化を継承した江戸時代初期の大名屋敷を偲ばせるものだった。この他鳩笛、キセル、塩つぼ、とっくり、盃、印鑑、土人形、木製上水道管など、多数の出土品を数えた。これらを後世に伝えるべく当時ビルの建築主、故金杉寅雄氏が、この石碑を建立したものである。
現在はビルの所有者も変わったが、その石碑は幸いにも維持され、出土品の殆どは千代田区文化財保護調査員の渡辺浩助氏の尽力により「四番町歴史民族資料館」にて保存されている。これらの発掘により、慶長15年(1610)から天和2年(1682)の大火で、藩邸が下谷に移るまで佐竹家秋田二十万五千石の上屋敷がこの地にあったという歴史的事実が実証された意義は大きい。  (「大好き神田-内神田町々内会」より)]

資料リンク
東京都立図書館 – 武州豊嶋郡江戸庄圖(寛永9[1632])」[絵図中央右方向・大橋と筋違橋の間に佐竹右京太夫(佐竹義宣)と記述されている。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 増補江戸大絵図絵入[出版年月日・延宝9(1681)年][絵図四つ切左上・「トキワハシ」と「筋違橋」の間に佐竹右京太夫(佐竹義処)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館 – 江戸図鑑綱目. 坤[出版年月日・元禄2(1689)年][絵図四つ切右下・浅草橋右上、従来から中屋敷であった場所に、佐竹右京太夫(佐竹義処)上屋敷が描かれ、元の上屋敷跡は堀田下総守(堀田正仲)上屋敷となっています。この絵図作成時には、この後上屋敷になる場所に、佐竹壱岐守(佐竹義長・佐竹藩支藩出羽岩崎藩)屋敷と藤堂佐渡守(藤堂高通)が描かれています。]

カメラ南東建物隅に佐竹藩江戸屋敷跡碑があります。

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