十軒店、出雲寺和泉掾跡

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十軒店跡
[この地は元来石町(こくちょう)と呼ばれていたが、寛文年間に神田に新石町(しんこくちょう : 現在の内神田三丁目)が出来たので本石町と呼ばれるようになった。石町という町名は、古くは米穀商が多く集まっていたことから穀類を数える単位の石に由来するとされる。一丁目から四丁目まであった(ただし町域は現在とは異なる)。江戸時代には三丁目に市中に時を告げる時の鐘が置かれ、またその近くにあった長崎屋(長崎屋源右衛門)は長崎から将軍謁見のために来るオランダ商館カピタンの定宿とされた。二丁目と三丁目のあいだ近くにあった十軒店には、毎年桃の節句端午の節句になると人形の市が立ち、年の暮れには同所で破魔矢羽子板を売るなどしてたいそう賑わったという。  (wikipedia・日本橋本石町より)]

[十軒店(じっけんだな) 跡
所在地 中央区日本橋室町3‐2‐15
十軒店は雛市(ひないち)の立つ場所として知られていました。『寛永江戸図』に「十間たな」と記された、石町2・3丁目と本町2・3丁目に挟まれた小さな町で、日本橋通りの両側に面していました。江戸時代の初め、桃の節句・端午の節句に人形を売る仮の店が十軒あったことから、この名があるともいわれています。江戸時代中期以降、3月と5月の節句や12月歳暮市には内裏雛(だいりびな)・禿(かむろ)人形・飾道具・甲人形・鯉のぼり・破魔弓・手毬・羽子板など、季節に応じた人形や玩具を売る店が軒を並べていました。『江戸名所図会』には「十軒店雛市」と題し、店先に小屋掛けまで設けて繁昌している挿絵が描かれています。明治時代以降もこの地は「本石町十軒店」と称されていましたが、明治44年(1911)に十間店町となり、昭和7年(1932)、旧日本橋室町3丁目に編入されました。平成10年3月 中央区教育委員会]

[十間店(十軒店とも書く。)は本銀町と本石町にはさまれていた所で、寛永江戸図に「十間たな」とあるから古い称呼である。小区画の町であったから今は室町三丁目内に吸収されて古い町名は亡んだ。三月上巳の節句に、美々しい雛人形を飾る風習が大名、公家、町家に普及するようになってからであろうか、ここ十軒店では街路に仮小屋を建て、2月25日から3月2日まで短期に雛人形市が立つようになり、人出で賑うのであった。4月25日から5月4日まで、冑人形、菖蒲刀、幟などの市の立つことも3月の雛市と同様だった。十軒店が軒並み雛人形屋に変わるのは、節季の三月と五月を目当てにして短期間だけのことであった。町の商店の大部分が、平素は似よりの他商売をしていたことを忘れないでほしい。  (「中央区立図書館 – 9.中央区名所名物句集一 安藤菊二輯(PDFファイル:898.67 KB)」より)]

出雲寺和泉掾跡
[『熈代勝覧』には,出版業と販売業を同時に営んでいた当時の本屋が3軒描かれている。本銀町二丁目に須原屋善五郎,本町二丁目北に出雲寺和泉(掾),室町二丁目に須原屋市兵衛が住所情報を含めて描かれている。  (「日本出版学会 – ベルリン東洋美術館所蔵『熈代勝覧』が描く江戸の出版」より)]

出雲寺和泉掾
[須原屋茂兵衛の記述
享保の改革では出版統制が行われたが、享保6年(1721年)には出雲寺和泉掾西村市郎右衛門・野田太兵衛・大和屋太兵衛・小川彦九郎と共に荻生徂徠六諭衍義』の売弘店に抜擢され、公との繋がりを鮮明にした。この時期には上方資本と江戸地店の新興勢力との対立が鮮明化し、享保12年(1727年)には江戸書物屋仲間中通組より新たに南組が独立し、類版禁止に関して抗争があったが、三代目茂兵衛は南組の代表人物であったと考えられている。
四代目恪斎の代には愈々隆盛を極めた。京柳馬場四条下ル所に仕込店を設けたのもこの頃である。
四代目死後は家督相続がうまく行かず、全体的な出版不況もあって家業も弛んだが、七代目茂広が出雲寺和泉掾との抗争に勝利して『武鑑』出版権を独占し、再興を遂げた。  (wikipedia・須原屋茂兵衛より)]

十軒店資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」(絵図四つ切り・左下日本橋通りに十軒店通町が描かれています。)

東京市及接続郡部地籍地図. 上卷(大正元年)」(122/647地図左上に十軒店が記述されて、地籍図表記に久月本店、永徳斎人形店、光月人形店の名が記述されています。)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・「十軒店雛市」(図会解説は「江戸散策 第34回 クリナップ」がお勧め。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「十軒店雛市」(1-41)、「十軒店解説・右ページ中程」(1-41)

「東都歳事記」・「十軒店冑市.jpg」、「端午市井図.jpg

東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「十軒店冑市」(3-6)、「端午市井図」(3-9)

カメラ西方向、レンガタイルのビル右端前に十軒店跡の説明板が設置されています。(2014年4月画像。現在は再開発中。)

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