マーカーは宝田恵比寿神社です。
宝田恵比寿神社
[宝田神社・恵比寿神 御縁起と大伝馬町の由来
宝田神社は慶長11年の昔360余年前江戸城外宝田村の鎮守様でありました。徳川家康公が江戸城拡張により宝田、祝田、千代田の三ヶ村の転居を命ぜられ(現在宮城内楓山付近)ましたので馬込勘解由と云う人が宝田村の鎮守様を奉安申し上げ住民を引率してこの地に集団移動轉したのであります。馬込勘解由と云う人は家康公が入府の時三河国から髄行して、此の大業を成し遂げた功に依り、徳川家繁栄御祈念の恵比寿様を授け賜ったので平穏守護の御神体として宝田神社に御安置申し上げたのが今日に至ったのであります。作者は鎌倉時代の名匠運慶の作と伝えられます。其の後村民の生活は金銀為替、駅伝、水陸運輸、それぞれ重要な役を賜り馬込勘解由は名主となって三伝馬取締役に出世し御役名に因んで大伝馬町の町名を賜って、伊勢、駿河、駿府、遠江、美濃、尾張、家康公ゆかりの国々より商人を集めて、あらゆる物資集散地として大江戸開発と商買発祥の地として大変賑わったのであります。現在も周辺の老舗大小商社が軒を並べて今尚盛んな取引が続いて居ります。宝田恵比寿神は商売繁盛、家族繁栄の守護神として崇敬者は広く関東一円に及び毎年十月十九日「べったら市」二十日の恵比寿神祭が両日に亘り盛大に執り行われます。べったら市は「年またあらたまる」今年も年末が近づきお正月を迎える心構えをする商家にとって大切な年中行事として旧家は今日でも恵比寿講をお祝いするのであります。昭和四十五年十月吉日 (「旧日光街道1回目(江戸・千住宿)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」
「東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「商家恵比寿講」(5-8)
商家恵比寿講(拡大図・商家恵比寿講.jpg)
カメラ北西方向が宝田恵比寿神社です。
宝田恵比寿神社「べったら市」の360citiesです。