マーカーは富沢稲荷神社です。
富沢町
[江戸時代にこの一帯に住んでいた古着屋の元締めである「鳶沢」という人物がいたことから、 「鳶沢町」と呼ばれるようになり、後にそれが訛って「富沢町」と呼ばれるようになったという伝承がある。 日本橋浪花町を吸収合併し、現在の日本橋富沢町の形になった。 (wikipedia・日本橋富沢町より)]
[慶長の頃、鳶沢甚内に支給した土地で、鳶沢は江戸の盗賊の取締りを命じられました。初めは鳶沢町といいましたが、後に富沢町に改められました。 (「日本橋小舟町地区 中央区ホームページ」より)]
「国際日本文化研究センター – 日本橋北内神田兩國濱町明細繪圖(安政6・1859年)」(浜町河岸の中央左に富沢町が描かれています。)
カメラ西北西方向に富沢稲荷神社があります。