小舟町

マーカーは小舟町天王祭御旅所設営地です。

小舟町(こぶなちょう)
[慶長8年(1603年)の町割のときは下舟町といいましたが、享保5年(1720年)に西側の大船町に対して小舟町としました。  (「日本橋小舟町地区 町名の由来 – 日本橋小舟町地区」より)]

[毎年六月には神田明神の地主神である三天王祭=祇園会が行われました。大伝馬町(小伝馬町を含む)が五~八日、南伝馬町が七~十四日、小伝馬町に代る小船町の祭が十~十三日にそれぞれ盛大に行われました。この当時の表現での三つの祇園会、別称三天王祭りの有様は、『東都歳時記』や『江戸名所図会』などでは、天下祭り以上の賑わいだったことが、それぞれの挿絵や文章でわかります。  (「中央区立京橋図書館 – 郷土室だより – 中央区の”みち”(その3)」より)]

[小舟町天王祭
6月10日に神田社地の天王三の宮は小舟1丁目の御旅所神幸があり、13日に帰輿する。行列飾りは大伝馬町と同じである。当祭礼で有名なのは橘町に立つ二王尊の像を染め出した大で、人目を驚かすほど巨大である。また荒布(あらめ)橋際に立つ、「天王おまつり」とかな文字で書いた幟は蜀山人(しょくさんじん、大田南畝のこと)の考案で中村弥太夫(なかむらやだいふ、幕府御畳方棟梁、隠居後の号を仏庵)の筆になる。かな文字の幟は江戸においては、当所の他には絶えてなくなったものである。また照降町(てりふりちょう)にある三段の軒提灯も他にはない。この御輿は渡御(とぎょ、おでましの意)の道筋が多いため御旅所へ到着するのは十日の夜の深更(深夜)か暁(あかつき、夜明けのこと)になってしまう。日本橋魚河岸へ渡御するや当所の魚問屋は桟敷を設ける。桟敷の上に数千本の団扇を積んで待ち受け、わが家の前に御輿の神幸があるや団扇をまき散らす。彩り五色の団扇が空へ舞い上がり落下する光景は、まるで秋の紅葉が散るようで心地よいものである。  (「江戸年中行事&風俗」より)]

昭和からの贈りもの 第5章 昭和10年・日本橋小舟町 八雲神社大祭」、「<白木屋傳兵衛>中村梅吉さんの「いい話」【第15回:歳時記:6月】

資料リンク
国際日本文化研究センター – 日本橋北内神田兩國濱町明細繪圖(安政6・1859年)」[絵図中央・西堀留川の右側が小船町です。]

「江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・小船町祇園会御旅所[図会は西堀留川北端で、左ページ蔵の後ろが西堀留川です。]、祇園会御旅所(説明文)、「伊勢町河岸通米河岸塩河岸」[図会下・西堀留川の下で中の橋右側が小船町一丁目です。]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「小船町祇園会御旅所」(1-42)、「祇園会御旅所解説・左ページ中程」(1-37)、「伊勢町河岸通米河岸塩河岸」(1-44)

「東都歳事記」・小舟町天王御旅出の図.jpg

東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「小舟町天王御旅出の図」(3-23)

カメラ東方向は堀留児童公園西口で、この場所に小舟町天王祭御旅所が設営されます。

カメラ位置は神田明神境内で、カメラ北西方向が小舟町八雲神社です。

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