幽霊橋(玉出橋)

マーカーは幽霊橋(玉出橋)跡です。

幽霊橋(玉出橋)関連リンク – 「神田八丁堀跡

幽霊橋(玉出橋)
[神田との境界に竜閑川(りゅうかんがわ)があった。かつては神田区日本橋区、現在の 千代田区中央区の区境が旧竜閑川。戦後すぐに埋め立てられたが、その跡地は路地状の地形となっているので歩くことができる。
浜町川と接していた辺りが「竜閑児童遊園」(日本橋小伝馬町19-4)である。ここに区境・竜閑川に架かっていた橋を模したものであろうか、何となく郷愁を感じさせる情景がある。写真の橋をはさんで左側が 中央区、右側は 千代田区、中央部に旧竜閑川が流れていた。
この辺りに架かっていた橋は、明治時代は「玉出橋」だが、江戸時代の絵図には「幽霊橋」ともあり、何とも怖そうな場所であったのだろうか。現在、この遊園の場所は、 中央区と 千代田区が共存している。中央区側には「竹森稲荷神社」が隣接し、千代田区側は和風造りの公衆便所や遊具がある。
竜閑川は日本橋川(旧外堀)と浜町川を結んだ堀川。明暦3年(1657)の大火後、防火のために8丁(約870m)の土手が築かれ、元禄4年(1691)ごろに町人たちの費用で堀割が開削され、通称「神田八丁堀」と呼ばれた。当初は白銀(しろがね)堀ともいわれたが、のちに竜閑川と名付けられたそうだ。竜閑の名は、川の西側の町に御坊主「井上竜閑」が住んでいたから、という。  (「中央区 ここに歴史あり<10>~区境である旧竜閑川の名残」より)]

幽霊橋(玉出橋)資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」[絵図中央の囚獄と右上の郡代屋敷のほぼ中間点の竹森イナリの左上が幽霊橋(玉出橋)です。]

カメラ位置は幽霊橋(玉出橋)跡付近です。カメラ北東方向が竜閑児童遊園(橋を模した施設がある。)で、カメラ南西方向小路が竜閑川です。竜閑児童遊園で竜閑川は右折して、鞍掛橋と緑橋の間で浜町川となります。

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