弁松総本店

マーカーは弁松総本店です。

弁松総本店
[江戸時代末期、まだ日本橋に魚河岸があった頃、その市場の中に「樋口屋」という小さな食堂がありました。盛りのよさで評判でしたが、相手は魚河岸の人たち。皆、忙しくて食べきる時間がなく、残していく人が多かったのです。そこで、残った料理を竹皮や経木に包んで持ち帰ってもらったところ、これが大評判になりました。そのうち、最初から持ち帰りを希望する人も現れました。 3代目樋口松次郎は、食堂を折詰弁当専門店にリニューアルし、屋号も「弁当屋の松次郎」を略して「弁松」に変えました。以来、約160年、日本で最初の折詰弁当専門店として江戸の味を守り続けています。 砂糖としょう油をたっぷり使った濃い味付けは、伝統の味です。折箱の中に広がる江戸の粋をぜひ体験してください。  (「東都のれん会 – 弁松総本店」より)]

[日本初の折詰料理専門店
時に文化7年(1810年)、越後国生まれの樋口与一という男が日本橋の魚河岸に「樋口屋」という食事処を開きました。盛りのよさが評判で繁盛していましたが、時間のない魚河岸の人たちは、せっかく食事が出てきても全部食べ切る前に席を立たねばなりませんでした。そこで、残った料理を経木(きょうぎ)や竹の皮に包んでお持ち帰りいただいたところ大好評で、持ち帰り用を所望するお客様が増えていきました。これが、弁松の折詰弁当の始まりなのです。二代目竹次郎の時代には、最初から竹皮で包んだ弁当を販売するようになり、三代目松次郎のとき、食事処から日本で最初の折詰料理専門店に変わりました。
弁松になった日
三代目樋口松次郎の時代、店も弁当販売が主流となり、「弁当屋の松次郎」略して「弁松」と呼ばれるようになりました。そして、食事処を店じまいし、折詰料理専門店「弁松」を創業しました。嘉永3年(1850年)のことでした。徳川御三家家令人力車に乗って注文に来たり、日本橋から埼玉まで大八車で弁当を届けたという記録もあります。以来、約160年間お江戸日本橋で弁当を作り続けています。老舗が多い日本橋では、まだまだ若造なお店ですが、弁当に込められた江戸の文化を伝える店として、これからもお客様をよろこばせていきたいと考えています。  (「仕出し弁当 日本橋弁松総本店 – 弁松について」より)]

日本橋 弁松総本店 (ニホンバシベンマツソウホンテン) – 三越前駅弁当-日本橋 弁松総本店[食べログ]

日本橋 弁松 総本店 – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向が弁松総本店です。

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