マーカーは松島神社です。
松島神社
[明暦の大火(1657年)以前、周囲は歓楽街で人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭(よし)町の芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わいました。祀られている大国神は、密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、破壊と豊穣の神として信仰されました。現在は豊穣の面が残り、大黒様として親しまれています。11月の酉の市が往時を伝える風物詩として今に遺っています。 (「日本橋七福神巡りコース | 東京日本橋 人形町 – 人形町商店街」より)]
[水天宮交差点から新大橋通りを東に二つ目、野沢酒店角を左に曲がると、あらら、なんとビルの1階奥に鎮座しているのが、大国神をお奉りしている松島神社です。元亨年間(1321年)以前の創建だそうで、その頃ここが入り江の島で、そこに松が有った事から松島稲荷と呼ばれるようになり、その後、松島神社となりました。ここが人形町、蛎殻町と町名が定められる前は、この辺一帯は松島町と呼ばれていましたが、それもこの松島神社の存在からです。この神社は大鳥神社で、江戸時代には周囲が歓楽街であったため、人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭町の芸妓どころや庶民の参拝で大いに賑わったそうです。松島神社は日本橋七福神のひとつ、大国神が奉られているので、今でもたくさんの七福神めぐりの方々が参拝に訪れます。11月の酉の市には熊手市も出るので、店の繁栄を願う商店主の皆様方で大変にぎわいます。松島神社のご利益は何としても商売繁盛、大国さまは富と財力を与える福の神、しっかりとお参りして行きましょう。 (「松島神社(大鳥神社) | 中央区町会・自治会ネット」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」( 絵図右下方向・松島町の右にイナリが描かれています。)
松島神社前のカメラです。
松島神社前酉の市の360citiesです