紅や(柳屋本店)、馬喰町馬場跡

マーカーは紅や(柳屋本店)です。

紅や(柳屋本店)
[株式会社 柳屋本店(やなぎやほんてん)は、東京都中央区日本橋馬喰町に本社を置く、ポマードなどの整髪料を中心とする化粧品メーカーである。1615年(元和3年)に創業された老舗企業として、その名を知られている。
1615年(元和3年)、から渡来し、徳川家康侍医を務めていた呂一官により、日本橋にて創業される。「紅や」という商号で店を構え、髪に塗る香油を中心に化粧紅、練紅、白粉などの製造販売を始める。1850年(嘉永3年)に外池半兵衛義治正願が養子としてその営業権を引き継ぎ、自らは柳屋五郎三郎と称すると、その後は香油を中心に整髪料に特化した。やがて明治期を経て大正期に入ると、アメリカ人技師・ハーバード・ジョイスを招くと共に「柳屋ポマード」を発売した。これが大いに売れたことで、同社を支え続ける主力製品となる。
関東大震災第二次世界大戦の戦禍により工場や店舗をたびたび失うも、1948年には株式会社に改組し、長年にわたり柳屋ポマードのヒットにより業界を牽引した。一時は丹頂(今のマンダム)と共に男性化粧品のトップを争った歴史がある。現在はPREXCEED(プレクシード)というブランド名で、男性、女性用のヘアケア、スキンケア製品を製造すると共に、またドイツシュトルベルクに本拠を置くモイラー・アンド・ヴィルツ社が、1792年に設立したオーデコロンのブランドとして有名な「4711」シリーズの国内総代理業務を行ってもいる。ロゴ源氏香之図の「花散里」を図案化したもの(一番左の線が短い)。  (wikipedia・柳屋本店_(化学)より)]

馬喰町馬場
[江戸では、郊外の高田馬場と市中にあった馬場は、その面積の大きさと景観の美しさからいっても、現在の運動公園にふさわしいものであった。江戸名所図絵には、馬喰町馬場、采女ヶ原馬場と高田馬場の三つが描かれ、嘉永二年(1894年)の切絵図では15ヵ所みられるが、馬喰町馬場や高田馬場のように、江戸時代を通じて存続したものは極めて少なくて、大部分は火災後に新たにつくられたり、馬場だったところが、武家地となって消えたりもしている。
馬場の管理はまちまちで近くの町に預けるもの、町奉行らが直接管理するものなどがあった。幕末に町預りになっていたものは、馬喰町馬場、采女ヶ原馬場、小石川馬場、小日向馬場、堀田原馬場、平河町馬場、それに湯島の桜馬場である。町預りについて、馬場のある町とまったく無関係な役所の者が管理するのとでは馬場に対する親しみが違っていたであろうといわれる。もちろん町が預った馬場で、町の子供が遊べないわけはなかった様子で、馬術の行なわれない馬場は、子供たちの格好の遊び場で、江戸名所図絵の馬喰町馬場には、子供が遊んでいるところが描かれている。
馬喰町馬場は、初音の馬場ともいわれ、関ヶ原の戦いのとき馬揃をしたところと伝えられ、明暦の大火後に一筋の馬場になったという。江戸でもっとも古い馬場で、明治までつづいた。 (wikipedia・馬場より)]

[奥州街道の出発地であり、問屋街に近く、関東郡代の役宅もあったため、旅人宿や公事宿くじやど(訴訟や裁判のために江戸に出てきた人を宿泊させる宿)が多く、江戸へ出た訴訟・商用・見物の者で賑わった。名前の由来は馬市が立ち、牛馬の売買や治療を行う博労ばくろうが多く住んだため、または、近くにあった初音馬場はつねのばばを博労頭の高木源兵衛や富田半七が管理を任されていたためと言われる。
江戸名所図会を読む:
    馬喰町馬場(挿絵)
    馬場(挿絵・解説)  (「歌川 広重 初代 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 – 国立国会図書館」-「馬喰町 (ばくろちょう)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」[絵図右上・郡代屋敷下に馬喰町馬場が描かれている。]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「馬喰町馬場」(1-62)
馬喰町馬場(拡大図)

絵本江戸土産 – 馬喰町 初音馬場(拡大図)

名所江戸百景」・馬喰町初音の馬場「wikipedia-photo

カメラ南南西方向が紅や(柳屋本店)です。また、カメラ西方向に「馬喰町馬場」があった。

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