玉姫稲荷(お玉が池跡)

マーカーは玉姫稲荷です。

玉姫稲荷(お玉が池跡)
[東京の池というと上野不忍池が有名だが、神田にもその昔「お玉が池」という池があった。水辺の桜樹が生い繁るその下の水茶屋で、「お玉」という美しい女性が訪れる人に茶を振る舞っていたと伝説は伝えている。今は岩本町のビルの谷間に小さな「お玉稲荷」が残るのみで、池は影も形も見えない。そのお玉が、池に身を投げた。この事件以後人々は、桜が池と呼ばれていたこの池を、お玉が池と呼ぶようになったという。後世の書物の書き手は、落ちた椿を拾い、再び水を張って水盤に浮かべるように、その理由を語っている。ひとつは、おそらく老親の他身寄りなく、その養父の死を嘆き悲しみ我が身を池に投じたと言い、もうひとつは二人の男を前に「選ぶ」という行為がなんともやる瀬なく、自死を選ぶしかなかったのだと語っている。これは、『江戸名所図会』の編者であり、神田の名主でもあった斎藤月岑の父幸孝の文で、『江戸名所図会』の下書きともいえるものだ。  (「神田資料室」より)]

お玉が池資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」[絵図伝馬町牢屋敷の上方向にお玉が池・玉姫稲荷が描かれている。]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「於玉ヶ池の故事」(1-58)、「於玉ヶ池解説-1・右ページ右から2行目より」(1-57)、「於玉ヶ池解説-2・左ページ左から2行目まで」(1-59)
於玉ヶ池の故事(拡大図)

お玉ヶ池跡 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が玉姫稲荷(お玉が池跡碑)です。

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