神田紺屋町

マーカーはカメラ位置です。

神田紺屋町
[歌川広重名所江戸百景」より、往時の神田紺屋町。町名の由来になった紺屋(染色業者)が多く、このような光景がよく見られた。町内には藍染川(あいぞめがわ)と呼ばれる水路が流れ、晒しに利用されていた。ファイル:Hiroshige Le quartier des teinturiers de Kanda.jpg  (wikipedia・神田紺屋町より)]

[慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に誕生したこの町には、藍染(あいぞ)めを手がける染物屋(そめものや)が軒(のき)を連ねていました。「紺屋町(こんやちょう)」という町名は、そのために生まれたとされています。「その年の流行は紺屋町に行けばわかる」といわれ、江戸の流行の発信地でもありました。紺屋町で染められた手拭いや浴衣は、江戸っ子たちにもてはやされ、なかには紺屋町以外で染めたものを「場違い」といって敬遠する人まで現れたほどです。
 ところで現在、紺屋町には、紺屋町北部町会と、紺屋町(南)町会の二つの住民組織があります。その理由は、両町会の間に神田北乗物町(かんだきたのりものちょう)が存在し、町そのものを南北に分けているからです。こんな不可思議な町の形が生まれたのは、江戸時代の享保(きょうほう)4年(1719)のことでした。当時、神田北乗物町の南側だけに集まっていた紺屋町の一部が、江戸幕府の命令によって北乗物町の北部に移されたのです。その跡地は、防災用の空き地となりました。災害から町を守るための幕府の施策が、このような町の配置を生み出したものと思われます。  (「千代田区 町名由来板ガイド:神田紺屋町(北部)(かんだこんやちょう ほくぶ)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」[今川橋上側、神田鍛冶町一丁目右方向に紺屋町がある。]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*