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崩橋(箱崎橋)跡
[江戸時代の此の地は大部分が武家屋敷で占められ、日本橋川下の新堀に沿った北新堀町と崩橋(後の箱崎橋)に橋際を立地とする箱崎町一丁目と二丁目が存するにすぎず、従って道路も箱崎川沿いに一条、新堀川沿いに一条と、ただ二条の道路があるにすぎなかった。 (「箱崎町の今・むかし – お江戸日本橋箱崎町」より)]
資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」(絵図右下に崩橋が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「山王祭・其二」(2-21)
山王祭・其二(拡大図)
[図会は山王祭の神輿渡御図で、行徳河岸の箱崎川に架かる崩橋(箱崎橋)から南茅場町方向を描いたものです。左ページ下に崩橋(箱崎橋)、その上に日本橋川、左ページ左上に日枝山王旅所(日本橋日枝神社)、智泉院(茅場町薬師)が描かれています。]
「中央区立図書館画像リンク・箱崎橋昭和43(1968)年5月」、「中央区立図書館画像リンク・霊岸橋から箱崎橋を望む」、「中央区立図書館画像リンク・新永久橋から箱崎橋を望む昭和43(1968)年5月」
カメラ南西方向に箱崎川に架かる崩橋(箱崎橋)がありました。