荒布橋跡

マーカーはカメラ位置です。

荒布橋
[「あらめ橋は、日本橋川から伊勢町堀に入る口の所に架されていた橋。『江戸砂子』(江戸砂子 – 古典籍総合データベース – 早稲田大学)に「又六助橋と云、大舟町より小舟町へわたる。」『再校江戸砂子』には橋詰にてあらめ、わかめ等の海藻を売るゆへの名也」『新編江戸志』(近代デジタルライブラリー – 新編江戸志)に「江府のあらめ多く是より出る。その外、海草軒とひとしく積おき商ふ也。夏はところてん多く是より出る也。」と記してある。」(鷹見安二郎氏『日本橋』  (「中央区立図書館 – 12.中央区名所名物句集四 安藤菊二輯(PDFファイル:879.45 KB)」より)]

[荒布橋と思案橋(戦後は小網橋)はもはや残っていませんが、かっては渡し船が行き来していた”鎧の渡し”(俗に一文渡)は、明治5年に木橋が架けられ、明治21年に鉄橋となり、現在の「鎧橋」は昭和32年に旧橋の老朽化に伴って架け替えられものです。
野田宇太郎は「東京文学散歩・下町」(小山書店、昭和33年刊)のなかで、荒布橋のあった場所にたたずみ、明治の情景を回想しています。「ここに立つと右に江戸橋が架かり、左のぐっと弓なりに曲がった下流には鎧橋が見える。明治21年架橋のアーチ型の鎧橋だった鎧橋の影はすでに五年前に失われてしまって、今は新しい鎧橋となっているが、濁った水の流れだけを眺めていると、やはりなつかしい過去の時代の思い出が漂っているようである。水の都!という言葉が私の心に浮かぶのは、この荒布橋跡やもう一つ川下の東堀留川の入り口に架かっていた思案橋跡の水際に佇むときでる。(中略)実際この遍りの水景は、江戸時代からの人々が愛して来たゆたかな情調は大切に保存しながら、ベネチヤあたりの水の都の特色を採り入れて、明治時代の良識ある都市計画者が慎重に設計した場所でもあった」。  (「日本橋小網町 今昔 – 島商株式会社」より)]

荒布橋資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」[絵図下中央付近・江戸橋の右上に荒布橋が描かれている。]

東京市及接続郡部地籍地図. 上卷(大正元年)」[131/647に照降町が記述されています。照降町の上に記述されている安田銀行(元第三国立銀行本店)は現在のみずほ銀行小舟町支店です。]

江戸方角安見図鑑. 乾,坤巻」・「ru11_01312_0001_p0016.jpg」[延寳8(1680)年]

武州豊嶋郡江戸〔庄〕図 – 国立国会図書館デジタルコレクション」[寛永年間(1624-1643)・この絵図には江戸橋、西堀留川に架かる中の橋は描かれていない。絵図上で右クリックし、拡大してご覧ください。]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「四日市」(2-14)[図会には荒布橋までは描かれていませんが、図会下が江戸橋でその下に荒布橋がありました。]

カメラ位置は荒布橋跡付近です。カメラ北北西方向が小船町記念会館で、この方向に西堀留川があった。カメラ方向右隣りのみずほ銀行小舟町支店は、元第三国立銀行本店で、その後安田銀行小舟町支店になります。

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