鍛冶町

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マーカーは鍛冶町町名由来ガイド板です。

鍛冶町
[その名が示すとおり、江戸時代明治時代、この界隈(かいわい)には金物を扱う流通業者や小売業者が集まっていました。鍛冶町(かじちょう)の名前のはじまりは江戸時代にさかのぼります。この近辺に江戸幕府御用を勤める鍛冶方棟梁(かじかたとうりょう)だった高井伊織(たかいいおり)が屋敷を拝領し、鍛冶職人などが数多く集まっていたのです。この二丁目界隈は、金物のなかでも、とくに刀や薙刀(なぎなた)といった打物(うちもの)を扱う業者が多かったのが特徴だったようです。そのほか、鍛冶町二丁目には鍛冶職人の屋敷だけでなく、江戸後期にはじつにバラエティ豊かな店がそろっていました。文政(ぶんせい)七年(1824)の『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』には、下駄(げた)の鼻緒を扱う問屋や、書物問屋、さらには薬の小売業者までいたことが記されています。『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』からは、下駄の製作・販売にたずさわる職人や業者が集まっていた「下駄新道(げたじんみち)」と呼ばれる裏通りがあったこともわかります。戦後、日本の復興期には、家庭金物店、建築金物店、銅・真鍮(しんちゅう)・鉄販売店などが軒(のき)を並べ、神田駅南口から東神田までの大通りは「神田金物通り」としてにぎわっていました。昭和二十二年の区画整理で、黒門町(くろもんちょう)、上白壁町(かみしらかべちょう)、下白壁町(しもしらかべちょう)、紺屋町(こんやちょう)、松田町(まつだちょう)、鍋町(なべちょう)、塗師町(ぬしちょう)、新石町(しんこくちょう)、竪大工町(たてだいくちょう)、鍛冶町二丁目が統合され、「神田鍛冶町二丁目」となりました。さらに、昭和四十九年(1974)に住居表示が施行されると、神田の文字がはぶかれ「鍛冶町二丁目」と名前を変えて現在に至っています。 (「千代田区総合ホームページ-千代田区 町名由来板ガイド:鍛冶町二丁目(かじちょうにちょうめ)」より)]

カメラ東南東方向に鍛冶町町名由来ガイドが設置されています。

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」[絵図左上・今川橋跡の上方向に鍛冶町があります。]

「江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・下駄新道

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「下駄新道」(1-49)

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