黒門町橋高架橋(鉄道戦災被災痕)

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マーカーは黒門町橋高架橋です。

黒門町橋高架橋(鉄道戦災被災痕)
[東京-萬世橋間は大正8年(1919年)3月1日に開通した区間である。
高架橋として、東京-浜松町間の煉瓦積構築とは異なり、表面こそ化粧煉瓦貼だが純然たるコンクリート建築構造である。
関東大震災(かんとうだいしんさい)(大正12年(1923年)9月1日)で付近一帯は複数の火砕流発生に依り全焼したが、該高架線建設工事中から神田駅が頑丈たる構造物である事を知る付近住民達が続々と該駅構内に避難して来た。
然し、震災当日19時頃、避難者頭上に複数の火砕流が合流し該駅構内に於いて550名避難者全員が退路を断たれ、火砕流に巻き込まれ全員焼死した。
大東亜戦争中末期、我が国は全国に於いて連合軍に依る空爆被害を受けたが、昭和20年(1945年)4月13日空襲では、神田区神田佐久間町一帯に焼夷弾に交え爆弾が投下され、内500kg爆弾1弾が該高架橋至近距離に於いて着弾炸裂時に該高架橋に被災痕を残した。
抉穴痕は弾片が原因、白色部分は爆風が原因での剥離面である。
空襲被災から70年を経て、焼夷弾痕、機銃掃射痕残存例は全国各地の存在するが、爆弾痕の残存例は、構築物自体が爆弾で破壊される事から、阪和線美章園駅構内の破壊復旧例の如き、破壊痕が再構築時に消滅する為に、当時の痕跡を今日に残すものとしては貴重な存在である。
黒門町橋高架橋(くろもんちょうばし こうかきょう)
東京都千代田区鍛冶町3-11-1
東北本線(山手線)神田駅北口 徒歩2分  (「黒門町橋高架橋〔鉄道戦災被災痕〕」より)]

[1945年4月13日 – 4月14日、城北大空襲。B29は330機。神田区、豊島区・渋谷区・向島区・深川区、淀橋区、小石川区、四谷区、麹町区、滝野川区、赤坂区、牛込区、荒川区、板橋区、中野区、王子区(現在の北区北部)、足立区、本郷区、下谷区、葛飾区、日本橋区、杉並区、江戸川区、城東区、浅草区空襲。死者2459人、焼失17万1370戸。宮城御所も被害にあう。  (wikipedia・東京大空襲#4月より)]

特集2 寄稿・神田駅誕生と町並変遷 – KANDAアーカイブ:神田資料室

カメラ東北東方向が黒門町橋高架橋で、被災痕が見えます。

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