五間掘跡

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    五間掘跡
    [江東区森下1-17~3-13
    五間堀は小名木川竪川を結ぶ六間堀からわかれる入堀です。五間堀という名称は川幅が五間(約9m)であるところから付けられ、六間堀とともに江戸時代から重要な水路でした。五間堀の初見は寛文11年(1671)の江戸図で、六間堀とともに記載されており、五間堀が開削された時期は、明暦の大火(1657)によって付近一帯の再開発がなされた万治年間(1658~1660)ころか、それ以前と考えられます。五間堀は江戸時代には富川町(森下3)までで堀留となっていましたが、明治8年(1875)、付近の地主であった元尾張藩徳川義宜により掘りすすめられ、明治10年(1877)ころに小名木川まで貫通しました。昭和11年(1936)・昭和30年(1955)の2度の埋め立てにより、現在、五間堀は全て埋め立てられています。 平成12年(2000)3月 江東区教育委員会  (「東京都江東区の歴史 五間堀跡」より)]

    資料リンク
    国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図(嘉永五年・1852年)」(絵図左上に六間堀、五間堀が描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 南本所大川ヨリ横川マデ堅川ヨリ小名木川ノ間 : 天保一一(1840)年八月ノ形

    南本所竪川辺之地図 / 村上吾雄 誌(嘉永四年・1851年)」・「bunko01_01855_p0001.jpg

    東京市拾五区区分全図 第十五 深川区全図 – 特別区協議会」(地図四つ切左下に五間堀、六間堀が描かれ、五間堀は小名木川まで到達しています。)

    カメラ南南西方向が六間掘児童遊園で、六間堀と五間堀の合流点になります。

    カメラ位置は五間掘の北東端で、五間掘はこの付近で南東方向に折れます。

    カメラ位置は五間堀に架かっていた伊予橋跡です。

    カメラ位置は森下3丁目第2児童公園前で、この付近で五間掘は北東方向に折れています。

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