佐賀町

マーカーは佐賀稲荷神社です。

佐賀町
[江戸湾に設けられた港のうちで、ここ、大川河口は、全国からの物資が集まる江戸最大の流通ターミナルでした。江戸の人々にとっても、帆柱の立ち並ぶ光景は永代橋の風物であったそうです。様々な物資の中でも、経済の中心であった米は、水揚げ後、深川・佐賀町の米問屋街の倉に納められました。そこから、今でも佐賀町会の祭り半纏には「米」の字をモチーフにした柄があしらわれています。また、毘沙門天・龍光院から程近い深川江戸資料館には、当時の佐賀町の町並みが再現されており、江戸の人々の暮らしぶりをのぞくことができます。深川で水揚げされた品々は、小船やいかだに積み替えられて、商家やその倉へ運ばれました。江戸の町は縦横無尽に掘割がめぐらされており、水運は最も重要で最も便利な物流ルートだったのです。  (「コラム|深川七福神巡り 」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 永代橋ヨリ深川八幡州崎辺迄 : 天保一一(1840)年八月ノ形」(コマ番号3/4・絵図中央左方向、永代橋右に深川佐賀町が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図(嘉永五年・1852年)」(絵図四つ切左下・隅田川岸に佐賀町が描かれています。)

国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国日本橋区蛎殻町及深川区佐賀町西大工町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治17・1884年)」(地図中央隅田川左岸に佐賀町が描かれています。)

カメラ位置は佐賀稲荷神社前です。

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