加賀藩前田家下屋敷(蔵屋敷)跡

マーカーは加賀藩前田家下屋敷(蔵屋敷)跡です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP505・コマ番号296/553から金澤藩(加賀藩)屋敷の変遷について記載されています。P509・コマ番号298/553「蔵屋敷 深川黒江町」がこの地になります。

[慶安4年(1651 年)から明治初期まで深川黒江町加賀藩の蔵屋敷がありました。蔵屋敷は大名自らが入手した抱屋敷で年貢米などを収納するため設けられました。場所は左下の切絵図の赤丸で囲った部分で、現在の門前仲町1丁目、深川東京モダン館のあたりです。2,668坪ありました。黒江町蔵屋敷には米蔵が置かれており明治維新まで存続し、前田家の江戸における貯蔵施設として利用され続け、米は藩邸の御台所や江戸藩士の扶持米として使用されました。それ以前、慶長 10 年(1605 年)ごろには永代島邸とよばれる蔵屋敷が水運の便が良い為に現在の仙台堀川北側(現千石1丁目付近)にありましたが、後にこの機能が黒江町蔵屋敷に移されたのです。  (「モダン館だより – 深川東京モダン館」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 永代橋ヨリ深川八幡州崎辺迄 : 天保一一(1840)年八月ノ形」(コマ番号3/4・絵図中央右下に松平加賀守(前田斉泰)と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図(嘉永五・1852年)」(絵図四つ切左下・永代寺右側に松平加賀守(前田斉泰)下屋敷です。)

東京図測量原図 : 五千分 – (内題)東京府武蔵国日本橋区蛎殻町及深川区佐賀町西大工町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治17・1884)」(地図四つ切右下・富岡八幡町上が加賀藩前田家下屋敷(蔵屋敷)跡になります。)

東京市拾五区区分全図 第十五 深川区全図 – 公益財団法人 特別 …」(地図四つ切右下・加賀ノ河岸上、黒江町26番が加賀藩前田家下屋敷(蔵屋敷)跡になります。)

カメラ位置は江東区門前仲町1丁目10地先T字路で、江戸時代の加賀ノ河岸で、カメラ東南東方向道路を含む両サイド、深川東京モダン館までが加賀藩前田家下屋敷(蔵屋敷)跡になると思います。