マーカーは新田橋です。
新田橋(人道橋)
[新田橋(にったばし)
新田橋は、大横川(旧大島川)に架かり、江東区木場5丁目から木場6丁目を結ぶ、町の人びとの暮らしを支え続けてきた小さな橋の人道橋です。
大正時代、岐阜県から上京し、木場5丁目に医院の開業をしていた新田清三郎さんが、昭和7年、不慮の事故で亡くなった夫人の霊を慰める「橋供養」の意味を込めて、近所の多くの人たちと協力して架けられたものです。
当初、「新船橋」と名付けられたが、町の相談役としても人望が厚く、「木場の赤ひげ先生」的な存在であった新田医師は、亡くなった後も地域の人々から愛され、いつしか「新田橋」と呼ばれるようになりました。
また、映画やテレビの舞台ともなり、下町の人々の生活や歴史の移り変わり、出会いや別れ、様々な人生模様をこの橋は静かに見守り続けてきました。
平成12年の護岸整備により現在の橋に架替えられましたが、架かっていた橋は八幡掘遊歩道に大切に保存されています。
『新田橋諸元』
橋梁形式 一径間単純鋼床版桁橋
橋 長 15.0m
橋梁幅員 3.4m (「保存されている旧新田橋遺構(LightBox)」新田橋説明板画像より)]
「国立国会図書館デジタルライブラリー – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図」(絵図中央下に吉祥寺弁天と洲崎弁天が描かれています。また、洲崎弁天の左上に江島ハシが描かれています。江島ハシの付近に新田橋(人道橋)が架設されているようです。)
カメラ南方向が新田橋(人道橋)です。
カメラ位置は新田橋・カメラ西、東方向が大横川で、カメラ西方向に首都高速9号深川線の高架が見えます。カメラ南方向橋の袂には「船宿 吉野屋」があり、突き当り左方向に洲崎弁天があります。
カメラ北北西方向が新田橋(人道橋)です。また、カメラ東南東方向が洲崎弁天です。
カメラ位置は八幡掘遊歩道で、カメラ北方向に旧新田橋が展示されています。(Google Maps・「旧新田橋 – Google Map 画像リンク」)