御船蔵跡碑、『安宅松が寿司』跡

マーカーは東詰公園です。

御船蔵跡
[はじめ寛永9年(1632)この付近に江戸幕府は軍艦安宅丸伊豆から回航格納し天和2年(1682)にいたって解体したがのちここを明治時代まで幕府艦船の格納所として使用御船蔵と称しまたこの付近にあった安宅町という地名は安宅丸の由来から生じたものである。
 昭和33年(1958)10月1日 江東区  (東京都江東区の歴史 – 御船蔵跡」より)]

『安宅松が寿司』
[堺屋 松五郎(さかいや まつごろう)は、江戸時代江戸前寿司職人。江戸三鮨の一つの『松ヶ鮨』の創始者で、握り寿司の創始者の一人とされる。
生没年および幼少期については不詳である。関西の泉州出身という情報がある。
1830年(文政13年)、深川の安宅六間堀(現在の新大橋付近)に『松ヶ鮨』を開店する。『安宅松が寿司』とも呼ばれる。当時の江戸では、寿司は押し寿司であり、握りずしは、華屋與兵衛と堺屋松五郎が始めたとする文献が多い。江戸中で最も贅沢な寿司であるといわれる。歌川国芳による大判錦絵「縞揃女弁慶 松の鮨」(画像リンク)があり、描かれているのは握り寿司と押し寿司である。
嬉遊笑覧』(文政13年刊)の記述から、握り寿司の考案者は華屋與兵衛ではなく堺屋松五郎だとする説もある。水野忠邦の発した倹約令に触れ、与兵衛寿司とともに処罰を受けている。
江戸前寿司での『握り寿司』の地位をゆるぎないものにしたという功績で、華屋與兵衛とともに後世に名を残している。 (wikipedia・堺屋松五郎より)]

御船蔵跡碑 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は新大橋東詰で、カメラ東南東に旧新大橋の親柱が保存されています。この東詰公園には御船蔵跡碑が設置され、この付近で江戸三鮨の一つの『松ヶ鮨』があったようです。

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