マーカーは採茶庵跡です。
採茶庵跡
[松尾芭蕉は、元禄2年3月27日(1689)採茶庵(さいとあん)から「おくの細道」の旅に出発した。正確には、仙台堀(仙台藩の蔵屋敷があったことから仙台堀と呼ばれ、現在の仙台堀川のこと)に浮かぶ船に乗り、隅田川をさかのぼって千住まで行った。「おくの細道」の出発は船旅だったのである。採茶庵は、芭蕉の門人、杉山杉風(さんぷう)の別宅であった。芭蕉は「奥の細道」の旅に出る前に、それまで住んでいた隅田川と小名木川の合流地点の岸辺にあった芭蕉庵を手放し、門人、杉山杉風(さんぷう)の別宅に厄介になる。採荼庵に芭蕉を住まわせた杉風は、日本橋で幕府御用の魚問屋を営み、豊かな経済力で芭蕉の生活を支えていたのである。 (「採茶庵跡 – 写真紀行」より)]
海辺橋
[仙台堀川に架かる「海辺橋」。安政5年(1858年)に描かれた「本所深川絵図」にこの橋が見られるが、芭蕉のころはまだ築かれていない。むかし本所深川では飲料水を船で運んでいたが、現在の海浜橋付近が飲料水を陸揚した「水場」にあたる。万治から寛文のころ江戸幕府は白堀上水をつくったものの引水状態が悪く、享保になって廃止された。 (「深川界隈資料写真と解説(6)」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図」(絵図左中程、仙台掘りに海辺ハシ正覚ハシトモ云の左下万年町に採茶庵があった。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「芭蕉庵」(18-25)、「芭蕉庵奮址解説」(18-24)
芭蕉庵(拡大図)
カメラ位置は海辺橋南詰で、カメラ西方向が採茶庵跡です。建物前に芭蕉翁の像が設置してある。
カメラ西北西方向が海辺橋です。