村上藩内藤家下屋敷跡

マーカーはカメラ位置です。

関連リンク – 丹後峰山藩京極家・村上藩内藤家上屋敷跡(総理大臣官邸)村上藩内藤家中屋敷(国会議事堂西門口)

内藤弌信
[内藤 弌信(ないとう かずのぶ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。越後国村上藩初代藩主。官位は従四位下豊前守。
万治元年(1658年)、内藤信光(家祖内藤信成の次男・内藤信広旗本5000石、一時は大名だった)の子)の子として江戸にて誕生。
寛文7年(1667年)に徳川家綱に初めて御目見し、のち延宝元年(1673年)に棚倉藩主・内藤信良の養子となる。同年従五位下紀伊守となり、翌2年(1674年)11月16日に家督を継いだ。
宝永2年(1705年)、所領を駿河国遠江国内に移されて田中城を居所としたが、正徳2年(1712年)5月15日に大坂城代となり、従四位下に叙せられ豊前守に改めた。享保5年(1720年)9月19日、越後国岩船蒲原三島3郡に移されて村上城に住した。
享保10年(1725年)2月18日に養父・信良が晩年に儲けた信輝に家督を譲った。しかし同年に信輝が死去したため、その子の信興が跡を継いだ。享保15年(1730年)に江戸で死去した。享年73。  (wikipedia・内藤弌信より)]

東京都立図書館アーカイブ – 本所深川絵図(文久2[1862]改正)」(絵図中央上・細川越中守下屋敷右上に内藤紀伊守(内藤信親)下屋敷が描かれています。)

カメラ位置は東陽三丁目北交差点(江東区東陽3丁目14北東角)で、カメラ位置付近周辺、江東区東陽3丁目24から大横川の間が村上藩内藤家下屋敷跡になると思われます。(村上藩内藤家下屋敷跡範囲:江東区東陽3丁目10~18,24,25,江東区東陽5丁目1,2,17,18)