江戸三十三間堂跡

マーカーは江戸三十三間堂跡の碑です。

江戸三十三間堂跡
[江戸三十三間堂(えどさんじゅうさんげんどう)は、江戸時代、江戸の富岡八幡宮の東側(現在の江東区富岡二丁目あたり)にあった仏堂。本尊は千手観音。京都東山の三十三間堂(蓮華王院)での通し矢の流行をうけて、寛永19年(1642年)11月、弓師備後という者が幕府より浅草の土地を拝領し、京都三十三間堂を模した堂を建立したのに始まる。翌寛永20年4月の落成では、将軍徳川家光の命により旗本吉田久馬助重信(日置流印西派吉田重氏の嫡子)が射初め(いぞめ)を行った。その後元禄11年(1698年)の勅額火事により焼失したが、元禄14年(1701年)富岡八幡宮の東側(現東京都江東区富岡2丁目付近)に再建された。しかし明治5年(1872年)、江戸三十三間堂は廃されて堂宇は破却された。京都の通し矢同様、距離(全堂・半堂など)、時間(一昼夜・日中)、矢数(無制限・千射・百射)の異なる種目があり流行した。記録達成者は「江戸一」を称した。現在、浅草の地に江戸三十三間堂の守護のために建てられたという矢崎稲荷神社があり、深川には三十三間堂で武芸を磨いた名残として江東区立数矢小学校がある。  (wikipedia・江戸三十三間堂より)]

江戸三十三間堂資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 永代橋ヨリ深川八幡州崎辺迄 : 天保一一年八月ノ形」(コマ番号2/4・絵図中央左下方向に右上に三拾三間堂が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図」(絵図下左・富ヶ丘八幡宮右に三十三間堂が描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「三十三間堂」(18-13)、「三十三間堂解説・右ページ左側」(18-9)
三十三間堂(拡大図)

[寛永19(1642)年、京都の三十三間堂を模して、弓術稽古のため浅草松葉町に建立された。元禄11(1698)年の火災で焼失、同14(1701)年に富岡八幡宮の東側に再建された。正面の柱の間が33あることから三十三間堂と呼ばれる。柱の間隔は2間のため、実際の堂の大きさは南北66間(約120メートル)、東西4間(約7メートル)であった。堂の南北を射通す競技「通し矢」が行われ、江戸の名所として賑わった。明治5(1872)年に廃仏毀釈により解体された。  (「歌川 広重 初代 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 – 国立国会図書館」-「三十三間堂」より)]

名所江戸百景[歌川(安藤)広重](深川三十三間堂 (現在の江東区富岡2丁目付近にあった)・wikipedia-photo)

三十三間堂跡 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向に江戸三十三間堂跡の碑が設置してあります。

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