東京大空襲殉難馬供養(江東馬頭観世音)

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マーカーは江東馬頭観世音です。

東京大空襲殉難馬供養(江東馬頭観世音)
[江東馬頭観世音由来之碑
昭和二十年三月九日夜半の東京大空襲により江東方面は焦土と化し殉難者は目を覆うばかりの惨状を呈した また戦局が激しさを加えるに伴い石油が欠乏し国内の輸送は専ら牛馬車のみに大きく依存された
江東地区特に砂町大島亀戸深川一帯は東京都内において当時最も多くの輓馬業者が集中し牛馬の頭数三千有余居りその大半が空襲で厩舎や路上で焼死し さらに戦時中は軍馬として江東方面から多数徴用され大陸や南方において数多くの馬が戦死を遂げたのである
昭和二十八年九月輓馬による運送業者が中心となり これら愛馬の諸霊を弔い平和祈願をこめてこの地に江東馬頭観音を建立したものである
大空襲後三十三囬忌を迎えるにあたりこの志を継ぐ者が相寄り慰霊の由来を記し ここに碑を建立して永く世にこれを傳えることになった
      昭和五十二年三月十日
            江東馬頭観音講]

[それからこの時代、車があまりないんです。かわりに馬が荷物をいっぱい運んでいました。その馬がこの炎におびえて、町中を暴れて暴走したんです。馬は逃げながらやっぱりたくさん焼き殺されていきました。その中で一頭の馬のことをよく覚えています。道路を歩いてきたその馬には馬方さんと言って馬の飼い主さんがついていました。荷車という大きな車を引いて、その上に荷物をたくさん積んでいました。炎の中を一生懸命歩いてきたんですが、私がちょうど立っている土手の真下のところで、四本の脚を突っ張らせるようにして立ち往生してしましました。もう動けなくなってしまったんです。そうして立っていたらその馬の荷物に火がつきました。荷物はいっせいに燃え上がりました。するとその荷物の火はやがて馬に燃え移りました。馬は生きてるまんまです。でも暴れないで燃えながらじっと立っていました。そしたらその火が今度は馬方さんに燃え移ったんです。馬方さんも馬を見捨てて逃げませんでした。たづなをもったままじーっと立って馬と一緒に燃え尽きてしました。  (「当時8歳だった二瓶治代さん – 東京都公立学校教職員組合」より)]

[ある14歳の女性は泳げないのに橋の上から飛び込んだんですが、近くにいたおじさんと一緒に、流れてきた角材につかまって何とか助かったそうです。火が下火になってから川から上がりました。近くで何かが燃えていたので、そこに行って濡れた服を乾かし、暖をとったんですが、夜が白々と明けてきてよく見ると、それは人と馬が燃えているところでした。
 暖をとっていた人たちは一人二人と去っていったそうです。  (「狩野光男さんが描く東京大空襲パネル | 株式会社きかんし」より)]

武州妙安禅寺 江東馬頭観世音 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が江東馬頭観世音です。

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