マーカーは円珠院です。
円珠院
[円珠院は享保年間に創建された。開基は円珠院殿妙献日寄大姉であり、円珠院は永見重直(大坂町奉行)の娘で、のちの旗本永井讃岐守直允(長崎奉行)の後室である。生年は不明であるが、享保一五年 (1730)に没している。夫の永井直允は功運寺(元は三田・現在は中野区に移転)に葬られた。円珠院は浄心寺の塔中で、関東大震災までは浄心寺の裏手にあったが、震災後の区画整理で現在地に移ったという(「寺社めぐり39」)。
円珠院には大黒堂があり、昭和五四年に復活した深川七福神の一つになっている。大黒天は浄心寺に預けられていたが、現在地に移転したときに、戻され、本堂に隣接して大黒堂が建立された(「小西法縁名鑑」)。昭和初期ごろから大黒講があり、檀家と近在の人で構成され、甲子の日には講員が集まり、大黒天祭礼がおこなわれる。(江東区の民俗深川編より) (「猫のあしあと – 円珠院」より)]
[円珠院は、享保のころ旗本永見甲斐守の娘、お寄の方が起立しのち、円珠院殿妙献日寄大姉の法名で、享保十五年末(1730年)に此の寺に葬られました。
享保五年(1720年)十一月十三日画かれた大黒天の掛軸があり、木造の大黒天が安置、境内に石造の破顔大黒天が安置されています。江戸時代から、深川の大黒天として有名でした。 (「深川七福神めぐり」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 永代橋ヨリ深川八幡州崎辺迄 : 天保一一年八月ノ形」(コマ番号2/4・絵図中央右上方向に浄心寺が描かれています。その地内に円珠院がありました。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図」(絵図中央左下に浄心寺が描かれています。その地内に円珠院がありました。)
カメラ北西方向が円珠院です。
円珠院大黒堂内のカメラです。