マーカーは深川めし「深川宿本店」です。
深川めし
[深川めし(ふかがわめし)、深川丼(ふかがわどん)は、アサリ、ハマグリ、アオヤギなどの貝類とネギなどの野菜などを煮込んだ汁物を米飯に掛けたものや、炊き込んだもの。アサリ飯と呼ぶこともある。
貝の産地ではポピュラーな調理法だが、東京の深川が代表格であるため、このように呼ばれている。2000年前後から増え始めた深川めし屋の多くは炊き込みタイプである。
古くはアサリではなく、江戸の深川近辺で大量にとれたバカガイ(アオヤギ)を用いた。アサリを使うようになったのは明治・大正頃である[1]。
明治時代のスラム街潜入ルポルタージュである『最暗黒の東京』(松原岩五郎,明治26年)では「車夫の食物」の項目に、「深川飯 – 是はバカのむきみに葱を刻み入れ熱烹し、客来たれば白米を丼に盛りて其の上へかけて出す即席料理なり。一椀同じく一銭五厘尋常の人には磯臭き匂ひして食うに堪えざるが如しと雖も彼の社会では終日尤も簡易なる飲食店として大いに繁昌せり」と紹介されており、当時は決して中流階級の食卓に並ぶようなものではない、下層階級の食事であったことを窺わせる。
炊き込みタイプの深川めし・wikipedia-photo、汁掛けタイプの深川めし・wikipedia-photo、駅弁の深川めし (NRE大増 リニューアル前)・wikipedia-photo、深川のむきみ女を描いた歌川国芳の浮世絵・wikipedia-photo (wikipedia・深川めしより)]
深川宿本店
[農林水産省郷土料理100選のひとつ、「深川めし」は、ざっくりと切った葱と生のあさりを味噌で煮込んで熱いご飯にぶっかけた、漁師の知恵の一品。
ここ深川は、江戸時代は漁師の町として栄え、江戸前の魚貝類や海苔などを捕る漁師さんたちが大勢いました。
特に、良質のあさりやカキが沢山捕れ、それらは深川名物とされていたのです。
忙しい漁の合間に手早く作れ、しかもおいしく栄養価の高い「深川めし」は、漁師の日常食としてもてはやされました。
「深川めし」には、もう一つ、あさりの炊き込みご飯もありますが、それは大工などの職人さんが弁当に持っていけるものをという事で、生まれたと言われています。
埋め立てがが始まり、海が遠くなり、時代の流れの中で一度消えてしまった「深川めし」ですが、「深川宿」では、この味を地元の漁師に学び試行錯誤を繰り返し、現在に伝えるべく、日夜努力に励んでおります。
深川めしの命、新鮮なあさりと、赤味噌と白味噌の絶妙なバランス。
噛むとじゅわっとあさりのエキスは、味噌味に一層のこくを加えます。
下町の粋を気取って、どこか懐かしい庶民の味を。
炊き込みの深川めしもよいですが、「本物の深川めし」を是非一度ご賞味下さい。 (「深川めしとは | 日本の郷土料理百選に選出 江戸時代の漁師めし – 深川宿」より)]
「深川宿 (ふかがわじゅく) – 清澄白河/郷土料理(その他) [食べログ]」
カメラ南西方向が深川めし「深川宿本店」です。