清洲寮(昭和8年築民間集合住宅)

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清洲寮(昭和8年築民間集合住宅)
[再び深川に戻り、清澄白河駅近辺の不動産屋を訪ねてみる。「深川近辺には、以前は古い住宅がもっと多くありました。でも、どんどん壊されていますね。長屋以外にも『清洲寮』はがんばっていますよ。70数年前に建てられました集合住宅ですが、空きを待っている方が非常に多いです。オーナーの方がタイミングよくリノベーションしているので、良い保存状態が保たれていると聞いています。何でも、オーナーの方の意向で、全部屋、内装が違うようですよ」
清澄白川駅から直ぐ、清洲橋通りにある4階建ての黄色い建物。店舗として利用されている1階の中心に「清洲寮」の大きな表札が見える。訪れたその日は玄関先で何やら工事をしており、寮のオーナーである女性が立ち会っていた。「この建物は、私が祖父から譲り受けたものです。確か、昭和7年か8年にできたと聞いています」、とオーナーは気さくに話はじめてくれた。
「一番古い人は、昭和17年から住んでいますので、かれこれ60年以上になるでしょうか。住人は昔から住んでいる人や、若い人もいますよ。職業も様々ですね。なるべく新しい人に入居頂きたいのですが、ずいぶんとお待ちしていただいている方もいて、申し訳ないですよ」、とオーナーの女性は続ける。
工事の対象となっていたのは、玄関の壁に埋め込まれている、モザイク状のタイル。これが非常に珍しいものだそうで、オーナーには、写真の撮影も「どうかご遠慮下さい」と丁寧に断られた。この装飾物は、清洲寮が完成してからずっとあるもので、一つ一つ非常に細かいタイルを手で張って作った、二つとみられぬ素晴らしい芸術品だ。
この清洲寮も、戦火を潜り抜けて生き残った、貴重な建物の一つ。見るからに非常に頑丈なつくりをしている。また、前述の不動産屋によると、この一帯の土地は殆どが寺が所有するもので、借地権により土地が提供されているそう。「借地権といっても旧法なので、清洲寮は、清澄長屋(取り壊しの話)のようにはならないと思いますよ」と不動産屋は話す。  (「清澄長屋と清洲寮~戦火を潜り抜け、深川を見守る:アーバン・ヘリテージ」より)]

清洲寮~昭和8年築の民間集合住宅~ | 青山物産のブログ」、「今見直される集合住宅 「清洲寮 前編」 – 東京冒険紀行

カメラ南東方向が清洲寮(昭和8年築民間集合住宅)です。

清洲寮階段室前のカメラです。