猿江摩利支天祠跡

マーカーは日先神社です。

猿江摩利支天祠跡
[猿江神社の少し北に、摩利支天祠跡・日先神社。今は、なんとなくこじんまりした構えではあるが、江戸名所図会では結構なる造作。江戸屈指の規模をもつ神社であった、とか。摩利支はサンスクリット語で「マリシ=太陽や月の光」。摩利支天は陽炎を神格化したもの。陽炎は実体がないので、捉えられず・傷つくこともない、ということで武士の間で信仰されていた。楠正成など兜の中に摩利支天の小さい像を入れていた、と言う。また、だまされず、財をとられることもないということがら江戸時代後期には民衆の信仰を集めた。   (「東京下町散歩・江東区 (3):(森下・住吉)へ – 時空散歩」より)]

摩利支天
[原語のMariciは、太陽や月の光線を意味する。摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したものである。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。護身、蓄財などの神として、日本で中世以降信仰を集めた。楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。また、毛利元就は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。山本勘助前田利家といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。禅宗日蓮宗でも護法善神として重視されている。  (wikipedia・摩利支天より)]

摩利支天資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 南本所横川ヨリ御材木蔵迄 : 天保一一年八月ノ形」(絵図四つ切左下・「稲葉兵部少輔」左下に「摩利支天」と描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「猿江摩利支天祠」(18-32)
猿江摩利支天祠(拡大図)

日ノ先神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が日先神社・猿江摩利支天祠跡です。

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