マーカーは臨川寺です。
臨川寺
[臨済宗妙心寺派の瑞甕山臨川寺は、承応2年(1653)鹿島根本寺の冷山和尚が草庵を結んだことに始まり、その弟子の仏頂禅師が幕府に願い出て、正徳3年(1713)瑞甕山臨川寺という山号寺号が許可されました。延宝8年(1680)深川に移り住んだ松尾芭蕉は仏頂禅師と親交が厚く、度々参禅に通ったと伝えられています。以来、芭蕉ゆかりの寺として「玄武仏碑」をはじめ、「梅花仏碑」「墨直しの碑」「芭蕉由緒の碑」などの石碑が残されています。 (「猫のあしあと」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 永代橋ヨリ深川八幡州崎辺迄 : 天保一一年八月ノ形」(コマ番号3/4・絵図右上、本誓寺の左、海辺大工町下に臨川寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図」(絵図中央左方向・久世大和守下屋敷上方向に臨川寺が描かれています。)
カメラ南南東方向が臨川寺山門です。