赤穂浪士休息の地碑、ちくま味噌

マーカーは赤穂浪士休息の地碑です。

赤穂浪士休息の地
[元禄15年(1702)12月15日早朝、赤穂浪士の一行が本所松坂町の吉良邸討入り後、一ツ目通りを引き上げました。途中、乳熊(ちくま)屋味噌店で休息し、甘酒の接待を受け、休息したのち永代橋を渡り高輪泉岳寺港区)へ向かったといわれています。この由来を記した碑が、昭和38年会社の入口に建立されました。  (「深川・門前仲町駅周辺 – 江東区 」より)]

[赤穂浪士休息の地碑      所在地 東京都江東区佐賀1-6-2 
赤穂四十七士の一人大高源吾守葉は俳人としても有名でありますが、ちくま味噌初代竹口作兵衛本浄とは其角 の門下として徘界の友でありました。
 元禄15年(1702年)12月14日、本所松坂町(現 墨田区両国3丁目)の吉良邸討入本懐を遂げた後、大石内蔵助率いる義士達が一ツ目通りを引き上げの途中、永代橋 へ差し掛るや、あたかも當所乳熊屋味噌店の上棟の日に當り作兵衛は一同を店に招き入れ甘酒粥を振る舞い労を労ったのであります。大高源吾は棟木に由来を認め又看板を書き残し泉岳寺へ引き上げて行ったのであります。
 昭和28年(1953年)2月 ちくま味噌16代 竹口作兵衛識  (「東京都江東区の歴史 赤穂浪士休息の地碑 」より)]

ちくま味噌
[伊勢国、ちくま郷(現在の三重県松坂市中万町)から江戸に進出した竹口作兵衛勝義が、元禄元年(1688)に永代橋のたもとで味噌醸造を始め、ちくまやさくべえ商店としたのが、当店の始まりです。以来、江戸の味噌として多くの食通の方々にご愛顧をいただいてきました。現在も、300余年の間につちかわれた伝統と最新の技術、そして厳選した原材料によって、優れた数多くの製品を作り上げております。業務用製品を中心に、家庭用の製品まで幅広く取り揃えた江戸の風雅ただよう味噌を、ぜひおためしください。  (「東都のれん会 – ちくま味噌」より)]

赤穂義士休息の地碑 – Google Map 画像リンク

カメラ南東方向が赤穂浪士休息の地碑で、カメラ西方向3階建ての建物がちくま味噌です。

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